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2018年3月29日 (木)

スケジュール

整理整頓の鉄則は、整理、つまりやめるなくすへらす所からスタートする事である。その上で残ったものを整えるのが整頓になる。

スケジュールに当てはめて考えるのであれば、どうやって整えるかの前に、そもそも減らす事が必要という事だ。この時に「何をやるか」という視点はあまり必要ないと考えていて、どちらかというと「何をやらないか」という意識が重要だと考えている。そもそも「やる事」というのは放っておいても発生するので、その入り口の部分で本当にやる必要があるのか、やらなくて良い事ではないかと考えるのが大切だろう。

一方で、そういった思考は脳にとってはやる気を削ぐネガティブな思考になる。やる気を高めていきたいのに、やらない事ばかり考えていたら、無意識の領域は確実にやる事への興味を失っていくだろう。

その辺りはジレンマというか、そこで割り切るのであれば、無理やり整頓から始めてしまうというのも一つの方法かもしれない。ただ、結果として詰め込みきれなくなれば、それはまた脳に対するネガティブな事象になる訳で、逆に割り切るのであれば、多少のネガティブはやむを得ないとやらない事(の明確化)に注力した方が良いような気もする。

何故そのような事を考えたかといえば、またオケ関係の諸々が回っていかなくなりそうな予感を感じたからだ。先日までやめる方針だったのを転換してしまったので、結果として予定は詰まり気味になるのは当然だ。しかしながら常にあっぷあっぷというのは理想的な状態とは言えない。一方で一連の思考整理で分かったのは、モチベーション維持のために他のオケへの参加も必要としているという事で、他を落とすというのも考えづらい。いやこれ以上増やすかは別として。

そこで必要になってくるのが、その上で何をやらないか、やらない事を許容するかという視点だ。最低限必要な事はある。その上で出来ると良いなという事がある。その中でどこまでをやっていくのか、どこからはやらないのかという事を考えながら、「スケジュールに落とし込んで」いかなければならない。

・・・面倒くさい。

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2018年3月28日 (水)

仕事とプライベートの境界線

今日は有給を取って今シーズン最後のスキー・・・のはずだったが、昨日急遽状況が変わって出社となったので、今シーズンのスキーは先日の土曜日で終了した。それほど強い思いがあった訳ではないので仕事を優先したのだが、まぁ残念といえば残念である。

会社には事前に年間の有給取得を一定数決めておく制度があって、原則10日をあらかじめ定めておく(最低という意味で最大ではもちろんない)のだが、キャンセルキャンセルでいつのまにか7日になってしまっている。再設定もしているのでキャンセルとなったのは3日だけではない。そもそも冬場に6割の休みを設定していたはずなのに終わってみれば・・・という感じではある。

どこまで休みの予定を優先するかという判断は難しい。もちろん譲れない場合というのもあって、特に何らか予約などをしていればそういう事になるのだが、そうでない場合はまぁ別に良いかという感じになってしまうのは確かだ。

そもそも休みを取るというのは、スケジュール管理の問題である。今日の場合は同僚の体調不良のカバーになるので、個人的には「空いていた」状態だったのだが、個人の仕事の事情で休めないというのは、所詮仕事のマネジメントの問題に過ぎない。

そういえば先日のスキーの最中にこんな事を呟いていたのだった。

全部プライベートですといえば良い話。 / “プライベートと仕事は切り分けない方が自然じゃまいか - boobyn's blog” htn.to/HhY6Ry

というか、そもそもプライベートと仕事は二元軸で語れるものなのか?

個人的には切り分けて考える方だと思うのだが、この手の話題でいつも気になるのは「プライベート中も仕事の事ばかりを考えるよね」はあっても「仕事中もプライベートの事ばかりを考えるよね」と胸を張る意見をあまり見かけない事だ。それはその時点で仕事とプライベートを分けて捉えていて、分けているからこそ「いやでも分けてないよ」と無理に主張をしているように見えてしまう。

どうでも良いといえばどうでも良いのだが、そもそも仕事とプラベートが対比軸で語れるものかというのはさておくとしても、ある物事を切り分けないというのは逆に「どちらにも全力投球していない(集中していない)」という事でもあるよな〜と思ったりするのだった。

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2018年3月27日 (火)

踏み留まる先送り

半月以上引きずった退団問題は、結局踏み出さない結論に落ち着いた。とはいえこれは決断とは言わないだろう。ある意味判断を先延ばしにしたとも言える。

公言こそしなかったがブログやSNSでかなり開けっぴろげに検討を展開していたこともあって、何人かからそれとなく慰留っぽいこともされた。一方で辞める前提で覚悟を決めていて、最終的な結論に肩透かしを食らった人もいただろう。そういった意味では各方面に混乱と困惑と迷惑をかけたと言える。

正直な話、気持ちの整理ができた訳ではない。このようなモヤモヤ感を抱えたまま続けて良いものかと思う反面、抱えたまま辞めれば一生引きずりかねない訳で、きちんとケリをつけるべきなのだろう。

その結論が何かは分からないけれども。

ただ、オケとの関係や距離感を考えるキッカケにはなった。表面的には今まで通りかもしれないが、心境としてはまた少し違った形で接していく事になるだろう。それは他のオケについても同様だし、楽器に対する姿勢もそうだ。

いずれにせよ、ひとまずこの件は終息とする。お騒がせしました。

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2018年3月26日 (月)

シーズン9日目

土曜日のスキーは楽しかった。オケ関係の諸々はどうでも良いと思える程に。


さて、今シーズン9日目、おそらく最後となりそうなスキーに行ってきます。

良い天気だ! 場所: パルコール嬬恋スキーリゾート instagram.com/p/BgrxCrpFwLf/

1本目。フリー滑走。というか、今日は基本フリー滑走であろう。乾雪という触れ込みだったが、下の方はかなり硬い。

2本目。今日はアクションカムもないので身軽である。頭を空っぽにして滑るのだ!

快晴である。 場所: パルコール嬬恋スキーリゾート instagram.com/p/Bgr1WMnlXNA/

3本目。コースがクリアだったので大回りで身体を左右に傾けてみる。カービングスキーが出始めた頃によく見かけたけど最近はこういう滑り方しているのって見ないよな。

そろそろコントラが動き始めたかな。

4本目。コースを変えてみる。無駄に広くて蔵王やトマムを思い出すな。しかしいつもこの時期だから雪がいまいちなのだが、トップシーズンであれば楽しそう。

5本目。リフトからゴンドラへのつなぎ。とはいえそれなりに距離はある。さて上へ向かおう。

6本目を滑る前に1枚。 場所: Tsumagoi, Gunma instagram.com/p/Bgr6a2SFw9B/

6本目。山頂手前より。さすがに雪が良い。上と下の落差がすごい。

7本目はゴンドラからつないでより上に上がる。

8本目。最長の4kmコースを一気に滑走。天気のよさとコース上の人の少なさが最高でこれはむしろアクションカムを持ってくれば良かったかもしれない。

9本目。ちょっとだけプルークターン。4kmコースを楽しむにはリフト→ゴンドラ→リフトと乗り継がなければならない。

10本目はショートターン。雪が良いので面白いぐらい簡単にスキーを回せる。さて、次は再び4km滑走。

11本目。4km滑走。めっちゃ楽しい。運命とかブラ1とかチャイ5とかオルガン付きとかを弾ききった後のような満足感。

12本目。やっぱり冬はスキーだよ!仕事でもオケでもなくスキーだよ!(仕事とオケとスキーを切り分ける考え方)

とりあえず昼前にもう1本4kmと思ったが、次はちょっと違うルートにして早めに昼食にしよう。

13本目。林の中を抜けたのだが、雪が大分緩んできている。

これは・・・もしかして辛どいか・・・。 場所: パルコール嬬恋スキーリゾート instagram.com/p/BgsHXOhF1ei/

それにしてもこんなにストレスなく気持ち良く滑れるのは久しぶりの気がする。前回の尾瀬岩鞍で多分少し滑りのイメージがアップデートされているのも影響しているんだろうな。

今日はスタジオの予約をしているので早めに上がる必要があるのだが、なんだかもったいないのう・・・。

午後の滑走開始。今日はね、半日ではね、ないんだよ。

14本目。上部も雪がだれてきている。

15本目。4km滑走3本目。雪は大分春スキーらしくなって重いのだけれども、人が少ないので無理にコントロールする必要がなく、楽に滑れる。とはいえそれなりに負荷はかかっているだろうな~。

16本目。ショートターンにしてみたらかなりきつかったのだが、それでも楽に回せるような感じになっている。おそらくポジションが良くなっているのだろう。でもきついからもうやらない。

しかし何だな、シーズン最後と思われる日にベストな感じで乗れているというのは、良いことなのか、残念なことなのか・・・。できればこの感じで何日か欲しい。

先月尾瀬岩鞍で滑った直後にどこかに行けていたら、また違ったのだろうか。土日は埋まっていたし、休みは取り消しになったし、無理ではあったのだけれど。

17本目。しばらく上部で滑ることにする。

18本目。スピードを少し控えてショートターン。自分の影が雪面に写るのだが、上体が全然動いていない。そういえば上半身をもっと使えと言われたのだった。

19本目。スピードを控えてのミドルターン。むしろ抑える方がきつい。しかしやはり上体が動かせていない。脚だけで回せてしまうので動かし方を忘れてしまうのだそうだ。

20本目。少しスピードをあげてオープンスタンスでミドルターン。何か上半身の動きがぎこちない。スキーの操作につながらない動きを無理にしてしまっている気がする。

楽しく滑っているうちは良いけど、細かく課題を気にし始めると色々あるねぇ。

21本目。脚をさらに広げたワイドスタンスでミドルターン。ただこれをやると腰が低くなりすぎて高い姿勢を保つのが難しくなる。とはいえ操作をきちっとしないと回らないのでこれもトレーニングであろう。

22本目。ミドルターン。ターン弧が半円を描くようにしたいのだがずるずると流されてしまう。相変わらず上半身は動かない。

23本目。速度をあげてミドルターン。考えながら滑っていると楽しくない。いや楽しいのだけれど質が違うというか、リラックスではなく、緊張する楽しさというか。

最後の4km滑走に臨む instagram.com/p/BgsY7tPF_Ro/

24本目。4km滑走4本目。何も考えずにスピードに身を委ねる。ただ下部の雪的にはそろそろ限界っぽいので下まで降りるのはこれを最後にしよう。時間的にもそろそろあがることを視野に入れなければならない。

25本目。もう一度あがって降りて終わりだろうか。撤収はちとかかりそうだし。

そういえば尾瀬岩鞍でトレーンで滑っていて、時折グッと引き離される瞬間があって、あの加速が再現できない。体重がもたらす加速が自分の限界なのだが、あの人はそれ以上の加速が出来るのだ。それがテクニックというものだろう。

26本目。終了。ちょっと休憩してから撤収作業。

さて帰ろう。

今日のスキーは良かった。もう1日踏ん張ってシーズン10日の大台に乗せようと思う程度に良かった。水曜日の有給予定に何も予定が差し込まれないことを期待しよう。


という訳で、水曜日に今シーズン10日目を画策中。かなり暑くなりそうだし、この週末で営業終了してしまったスキー場も少なくないので、どこに行くかが課題である。

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2018年3月23日 (金)

踏み出すか踏み留まるか

Kオケの本番も終わったという事で、残った懸案を片付けるべく、昨日の夜はついに踏み出すためのメールを書いた。

・・・が、内容が釈然としない。これなら直後に書いたものの方がよほど理に適っている。
いざ改めて言葉にするというのは難しい。

結局の所、自分の中でも気持ちの整理ができていないという事なのだろう。あるいは自分の中にある暗いわだかまりから目を背けて、無難な感じに落ち付けようとしてしまっているのかもしれない。

これは誰かへの怒りなんだろうか。
それとも自身への悔恨なのだろうか。

そんなものに将来の判断を委ねるのは稚拙な行いだろう。
一方で、そんなものに支配されてしまうのも、悲しいながら事実だ。そうではないと言葉を連ねてきていても、最後の最後に釈然としない形になってしまうのはそのためだ。

とりあえず踏み留まるためのメールも書いてみよう。
それでもって、明日はスキーに行こう。

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2018年3月22日 (木)

演奏会終了

朝起きたらまだ酔っていた。

・・・と感じる程度に飲んだのは久しぶりである。それもあって休みを取りたかったのだが(それだけではないが)、諸事情により今日は出社。どこかで代わりの休みが欲しい。

Kオケの演奏会は、まぁ成功しただろうか。

演奏上の課題は多々あるだろう。和音が決まらず指揮者が渋い顔をする場面は何度かあった。PAを使うのであれば、やはり技術者が必要だという課題も浮き彫りになった。
それでも、多数のエキストラの協力のもと、破綻はせずに終了したと思う。

運営上の課題も多々あるだろう。今回は親子席も用意して、演奏前にお静かにというお願いをした結果、前回のような騒々しさはなかった。一方で進行上ステマネはやはり必要だと思わされる場面もあった。
桜吹雪ではなく単なる吹雪の中の開催となったが、足を運んでくれたお客様に感謝である。

Kオケの演奏会としての強みは、ホールの関係もあるが、オケとお客様の距離が近い事である。通常あの距離感で行われる演奏会は室内楽の規模で、合唱含め70人規模のオケとして考えると、客席との距離は異様に近い筈だ。だが、それが通常とは異なる臨場感を客席にもたらす。言ってみればオケの中で聴いているような感覚の片鱗が客席には届いているに違いない。

これは悪くない話で、結果として演奏は多少稚拙であっても、それを迫力で押し切る事が出来るという事になる。ステージというスクリーンを通すのではなく、ダイレクトに音を伝えているとでも言えば良いだろうか。これは演奏会の一つの形として、今後もっともっと意識して洗練させていければ良いだろう。

そして昨日は今後の計画もぶち上げた。宣言した以上はやらなければならない訳だが、これが難題山積みの課題である。とりあえずは演奏会としての仕様を整えなければならないが・・・ま、ひとまずは一息つこう。昨日の残務も多少は残っている訳だし。

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2018年3月21日 (水)

本番の朝に

演奏会のある日の朝というのは、少しいつもとは違う緊張感と高揚感がある。

今日はKオケの本番。通常休日はブログは書かないのだが、少し早く渋谷に着き過ぎてしまい、ぽっかり時間が空いた感じになってしまったので、時間潰しも兼ねて演奏会当日の心境というのを書いてみる事にする。

もっとも、Kオケの場合、通常のオケとはかなり心持ちは違う。会社のオケだからという事もない訳ではないが、何より挨拶をしなければならないというのが大きい。正直楽器を弾くよりも緊張すると言っても良いだろう。その割に練習などはしないので、自分の準備不足といえばそれまでなのだが、いやでも練習するというのもなぁという気もするのだ。

演奏の完成度といえば、正直な話かなり怪しい。演奏会の段取りとしても、現実問題としてはかなりグダグダである。通常のオケであれば、このような状態で本番に臨むのは不安であるに違いない。

それでも良いのではないかというのは奇妙な心境だが、そういった演奏会の外面的な事はさておいて、Kオケというのはアマチュアオケのある側面を体現しているような気がしている。それは言葉は悪いが「我々は我々自身が楽しむために演奏する」というプレイヤー優先の側面だ。人によってはけしからんという受け止め方もあるだろうが、その辺りは「楽しんで演奏するのでがんばって聴いてください」というのだめカンタービレの最期の台詞に凝縮されている。(いやもちろんあれは言い間違いなのだけれども。)

言い切ってしまうなら、団長としてKオケの演奏会はプレイヤーが楽しんでくれるのであればそれで良いと思っている。結果としてお客様が楽しんでくれるのなら、それに勝る喜びはないのだが、お客様がどうこうというのは、個人的にはあまり眼中にない。お客様として楽しみたいのなら、他のオケに行ってもらえば良いのだ。

その代わり、オケのメンバーが楽しくないというなら、それは何とかしたい。演奏会の段取りを整えるのも、お客様のためではなく、メンバーのためだ。それも個人でもアマチュアオケに所属しているようなプレイヤーはまぁ良くて、Kオケでオケの楽しさを初めて経験するようなプレイヤーのためにこの演奏会は存在するのだ。

聴いていただくお客様(ほぼ社員だが)には申し訳ないが、その辺りはがんばってお付き合いいただきたいのである。そしてできうる事なら、こちら側に来て欲しいのだ。

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2018年3月20日 (火)

拘束感

ちょっと考えさせられた。

会社員が嫌なのではなく「週5日拘束されるのが辛い」だけ。だから働き方を変えてみた
https://cybozushiki.cybozu.co.jp/articles/m001426.html

仕事の話ではなくオケの話としてである。

この話を読んだ時に最初に感じたのは、「拘束」という文脈であれば、会社だけでなく学校とか家庭まで同じような事が言えるよな・・・というものだったのだが、それはもちろんオケの様な趣味の団体においても同様である。

F響に対する感覚というのはこれに近いのかもしれない。多少の幻滅はあっても嫌いと思ったことはないし、オケ自体に何か明確な不満があるという訳でもないのだ。ようはオケとの関係性において、何か問題がある訳ではない。色々理屈を考えていても、辞めるほどの理由は浮かんできていない。

にもかかわらず、辞めたいと思っている自分がいる。これはまごうかたなき事実で「辞めたい」と「辞めたくない」がモザイク状に入り混じっているのが今の心理だ。だからストレスを感じるし、これは一度リセットをしなければ解消は難しいのではないかと感じている。

先のコラムでなんとなく得心した気がするのは、自分がF響に対して何らかの拘束感を感じているのではないかという事だ。であれば、そうした拘束感からの解放を求めて他のオケに参加してしまう理由も何となく分かる。この拘束感というのは、必ずしも周囲からのプレッシャーというだけの話ではなく、自分の中にある心理的な縛りも含まれていて、おそらくそちらのウェイトの方がはるかに大きい。他人との関係であれば、割り切ることは出来なくもない。自分の心の中にある拘束感と対峙するからモヤモヤが大きいのだ。

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2018年3月16日 (金)

やめる未練とやめない未練

先日過去に対する未練と将来に対する未練について書いたのだが、冷静に考えるとその軸だけではない事に気づいた。過去に対する未練はこの際放っておくとして、将来に対する未練というのは「やめる未練」「やめない未練」というのがある筈なのだ。

F響に関しては過去何度かやめるという検討をしている。理由は様々だが、必ずしも何かに嫌気がさしたといったネガティブなものだけではなく、別の可能性を探したいというポジティブなものもある。未練とはつまりそういう事だ。やめてしまう事で失われる何かに対しての未練があるなら、やめない事で得られなくなる何かに対する未練もあるのである。

そういった意味で、今回はきっかけこそネガティブな事象であったかもしれないが、実はチャンスなのではないかという感覚もあるのだ。何となく踏ん切りがつかずにズルズルと居続けてしまう関係を断ち切る機会という事である。本番直前に「次でやめる」と決意し、本番の興奮で「やっぱり続ける」というある種の鬱と躁のループから抜け出す契機と捉えるべきかもしれない。正直な話、この機会を逃せば逆にやめるという選択肢は今後失われてしまうかもしれない。

それにしても、どうしてそのような感覚を抱くようになってしまったのだろう。本来オケで活動するというのは、もっと自由な筈だ。好きだから所属し、好きだから活動する。仕事であれ趣味であれ、人の行動原理は本来そういうもので、そこに別の判断基準が挟まれるのであれば、それは一種のしがらみである。

人間関係の蓄積はどうあってもしがらみを産むものだとすれば、それ自体は避けられない。先日急遽引き受けたエキストラだって、そういったしがらみ(語感はネガティブだが必ずしもそうではない)が関係していないとは言えない。むしろそれがあるからこそ良いという場合もあるだろう。

とはいえ、F響はそのしがらみが大きくなりすぎてしまったのかもしれない。そこから生じる何かが小さな棘となって自分に何らかのストレスなりプレッシャーを与えているのだとすれば、今回の一件はそこから解放されるチャンスであると捉えることもできるのだ。

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2018年3月15日 (木)

環境の見直し

今日はKオケの練習。来週が本番となるとサイレントチェロでという訳にはいかないので、楽器付きの出社である。もっとも途中で仙川に立ち寄って楽器だけは置いていく形で、流石に渋谷まで持ってくるというのは難しい(U響に参加していた頃はそうしていたけれども)。

という訳で今朝はいつものような時間がない。書く時間もなければ悩む時間もない。少なくとも悩みながら書く時間はない。

楽器とリュックのセットは相性が悪いので(楽器ケースが背負うタイプなので)、今日は鞄をひらくPCバッグに戻しているのだが、大分暖かかくなってきたこともあって、そろそろリュックからの切り替えを考えたいところである。昨日の帰りはかなり背中が汗ばんでしまって、やはり冬以外のリュックは限界があると感じている。

で、先日購入したひらくPCバッグnanoをまだデビューさせていない事を思い出す。今日は楽譜もあったのでnanoという訳にはいかなかったのだが、普段であれば問題ないはずである。

春を機にまた少し見直すか・・・。

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2018年3月14日 (水)

認識の甘さ

昨日はオケ関係の飲み会があり、楽しかった一方で先週からの懸案事項で自分の認識がまだまだ甘かった事を痛感させられた。なるほどそう受け取ってしまうのかという事で、自分が感じた怒りや苛立ちなんて、実際に言われた人の悩みからしたら小さなものなのだと感じたりした。

あの暴言を自分自身はそうは言っても聞き流しても良い(でも聞き流さない)という程度に受け止めてしまっていた感覚を恥じる。「聞き流せない」受け止め方もあり、それを反発ではなく真摯に受け止めてしまうという心もあるのだという事を言われて初めて気付く。他人の心を100%分かれとは思わないが、そうした受け止め方もある可能性には当然配慮すべきだっただろう。というか、ここ一連の自分の悩みは「自分だけ」の話になっていて、そうした当事者に対して何も考えていなかった事にも改めて気付いたりする。

それにしてもその後の状況を聞いた感じでは、あまりよろしくない反応を当人は見せているようだ。言われてみればそういう態度をとるだろうなと思いつつ、昨日感じたのはそう捉えてしまう事自体が「慣れてしまった人間の甘さ」で、そうではない人に対する配慮が自分自身の心理として足りていないという点だ。基本的に自分は他人の心理には配慮しない(できない)ポリシーなのだが、その自身の受け止め方にバイアスがかかっている可能性はよく考慮しなければならない。

そしてこれは自分の身の振り方も含めてよく考えなければいけないという事でもある。

現状の自分は今回の件に対して距離を置いているといえば聞こえは良いが、実態としては放棄あるいは逃避している状態であるのは間違いない。それはある種の諦観と再三書いているモチベーションが消えてしまった事に起因するもので、自分自身の中では決着しているのだが、当事者あるいは立場的にそれで良いのかという小さな疼きは確かにある。そこに踏み込むのは離れる以上に困難かつ面倒な事なので、目を背けているだけだ。というか、これまでも背ける形で折り合いをつけてきたのだろう。

どうするべきなのか。

ただ、現実問題として分かっている事は、対峙しなければいけない一方で、実際に対峙してしまえば、なあなあの渦に飲み込まれてしまうだろうという事だ。今回に関しては、それだけは避けなければならないのは間違いない。

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2018年3月13日 (火)

オーケストラとの関係

昨日はどういう訳か10時すぎに就寝できたので、それなりに睡眠負債を返済できたのではないかと思うのだが、それでも3時ごろに一旦目が覚めたりして何だかなと思ったりする。

冬場は(先週は体調の関係で行かなかったが)スキーというイベントも加わるので、土日含めて睡眠が削られやすい。オケの練習も含めると、土日もフル稼働状態というのは、それなりに疲労の蓄積もあるだろう。そういった意味では先週末は何もしないで随分とのんびりとした感じだったのだが、体調によるものではあるので、鋭気を養うプラスの休養というよりは、ダメージを回復するマイナスをカバーするための休養という所だろう。

それでも時間ができたおかげで滞っていたKオケの本番に向けた準備を何とか進めることができた。演奏の準備はさておき、演奏「会」の準備は整えておかなければ当日を迎えられない。今回はかなりギリギリでドタバタしていて、色々と反省がある。Kオケの演奏会はなかなかプロジェクト型の運営にできておらず、何とか当日を勢いで乗り切ってしまっている。それでも何とかなるのは、お客様共々緩さがある(ただしそれは決して悪い話という訳でもない)ためだ。普通のオケではそんな事は言っていられない。

ただこれも徐々に変えていかなければならない。より良い形にしていくために何らかの手を打っていかなければならない。それは自分だけで何とかなるものでもないし、気持ちだけで何とかなるものでもないが、少なくともKオケに対してはそのような気持ちがある事は自覚している。どこまで「やりたい事」かはやや微妙だとしても、それがオケに対するモチベーションとして存在しているのは間違いない。

そういった気持ちをどこまで持てるかはオケとの関係次第だ。そういった事を考えずにただ弾くだけという関係もあれば、多少口を出すとか、どっぷり運営に浸かるなど様々だろう。ただ弾くのも一つのモチベーションだし、運営で何かをするというのもモチベーションだ。正直な話、前者はどんなオケでもあって、そもそも楽器を弾けば楽しいのだから、わざわざ考えるまでもない。ただ、それだけなら「どこのオケでも良い」という言い方はできる。

問題は後者のようなモチベーションをどのように持って、どのようにオケと関係をしていくかなのだ。

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2018年3月12日 (月)

過去への未練、将来への未練

先週水曜日に体調を崩して以来、何故か全快感がない。まだ薬を飲んでいるということもあるかもしれないが、熱も平熱レベルまで下がっているにも関わらず、どこか身体が重くて、回復感が薄いのだ。

毎年この時期は体調を崩しやすいのだが、原因がよく分からないというのは若干気になる。ちなみにインフルエンザも陰性だった。

あるいはこれが心労というものかとも思うが、こればかりは何とも言えない。とはいえ、先週からの懸案はまだ引きずってしまっていて、週末に結論を出すつもりが中途半端なままに過ごしてしまった。

スタート時は怒りに突き動かされるような書き方をして、どっちが辞めるような話に持っていってしまっていたのだが、冷静になってみると事はそれほどシンプルではなく、あれはきっかけではあるが原因ではないと思うようになってきている。

問題は糸が切れたあるいは火が消えた状態にある事に気付いてしまったという事なのだ。あれがきっかけで切れたのかもしれないのだが、実はすでに消えていた事に改めて気付いてしまったのかもしれないと考えるようになっている。

とはいえ、切れていようが消えていようが、活動自体が続けられないわけではない。世の中にはそうした惰性(慣性?)で動いているものはいくらでもある。実際自分自身も今まで気付かぬままにそうであったのかもしれない。

ただ、気付いたのであれば、それは改めて考えるきっかけになる。

自分には未練があるだろうか。これまでの20年への未練ではなく、これからの20年への未練があるだろうか。過去への未練なら、それは切り捨てた方が良い。だが、未来への未練であるなら、切り捨てる事は将来の後悔につながるだろう。自分を悩ませているのは、過去なのか未来なのか。問題なのは、過去への未練はあって当たり前なので、未来への未練とは何かという事だ。

考えすぎと言われればそれまでだが、考え始めてしまった以上、決着はつけなくてはならない。

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2018年3月 7日 (水)

オケに対するモチベーション

オーケストラへの参加に対するモチベーションは様々だ。人によっても異なるし、掛け持つ場合はオケによっても異なるだろう。

退団してしまった平日練習オケの場合、元々は中々楽器の練習ができない中で、平日のオケなら無理やりでも楽器を弾く時間が作れるよね、というものだった。ある意味自分勝手な参加動機で、他のオケもあるという理由で役職を避け続けていたのだが、いつまでもそれではいけないという申し訳なさと、会社オケというもう一つの平日練習の負荷に耐え切れず、退団する事にした。今でも復帰できればと思う事はあるので、オケに対するモチベーションは失われていないが、物理的には不可能と感じている。

解散してしまったオケは、特に貢献できていた訳ではないのだが、このまま続くなら他をやめても良いなと思うぐらいには当時モチベーションが高かった。途中一度乗らない事があって、それがさらに渇望感を高めたようなところがある。何かのきっかけで再結成などがあれば飛びつくだろう。

サブカル系のオケは、言い方は何だがやや息抜き的な要素があって、普段だと楽譜を追うのにアップアップになるところを、少し余裕を持って色々考えられるという事が参加のモチベーションにつながっていた。それとメンバーが若く熱意が半端ないというのもあるだろう。何度か書いているが、新しいムーブメントに立ち会っているという気持ちもあった。

エキストラで参加するオケの動機は様々だが、多くはプログラムに惹かれたというものだろう。一度はやってみたかった曲、もう一度やりたいと思っていた曲、未知の曲など、曲は様々だが、オケ自体よりもプログラムが動機である場合が多い。そこで団体としても気に入ればしばらくお世話になる場合もある。

こうしたモチベーションの多くはやや短期的なものだ。では長期にわたって関係を持つオケの場合はどうだろうか。プログラムはすでにモチベーションになり得ない。オケとして新しい刺激があるという訳でも(必ずしも)ない。それでも、複数のオケを掛け持つようになってからも、心は常にそこにあったというか、他のオケでの経験をどうそのオケに生かしていくか、という事を考えていたような気がする。演奏面の提案(冒頭でスケール練習をしようとか、もう少し早く開始できるようにしようとか)は中々受け入れられる事はなかったが、実施要綱の書き方を丁寧にするとか、総会用の資料に詳細データを載せるとか、できる範囲でのフィードバックはしていたような気がする。

それはオケに関わって自分が変わるというよりもオケを変えていくようなモチベーションがあったという事だろう。他のオケでそれがなかった訳ではなく、どこでもそういった事を考えてはいたと思うのだが、そのウェイトはかなり違いがあったように思う。

・・・それがね、萎んでしまったんだよ。回復不可能なほどに気持ちが萎えてしまっている自分がいる。それを自覚してしまう自分がいるのだ。

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2018年3月 6日 (火)

オケをやめるという決断

時々「いくつオケに所属しているのか」と問われて答えに詰まる事がある。単純に数えるのが面倒という事もあるが、「所属している」の定義が曖昧だからだ。長年在籍しているオケもあれば、主宰しているオケもあり、エキストラとして参加しているオケも(タイミング次第では)ある。形の上では活動を停止しているオケもある。さらに気持ちの上では所属しているつもりでも、オケの方はそうは思っていない場合もあれば、その逆もあるだろう。

それでも20年以上在籍していれば、それは所属していると言えるだろう。当然ながら愛着もあるし、それ以上に練習や本番が生活の一部と化している。期間的には今時点の半生に当たるのだから、当然といえば当然だ。

そういった生活の一部をやめてしまうという決断は、非常に難しいし、辛い。

複数のオケを掛け持つようになってから、退団するという経験もしたし、オケ自体が解散してしまうという経験もした。一度きりでその後参加しなくなった(出来なくなった)オケもある。そういったオケとの出会いと別れというのは本来普通にある事だ。エキストラを含めれば乗ったことのあるオケは10ではきかない訳だし、今後も活動していく限りそういった事は続いていくだろう。

それでも、一つのところで20年を超える歳月というのは長い。そもそも上記のような経験をしつつも特に大きな変化無く活動を続けてこれたのは、そうしたホームのようなオケが拠り所としてあったからでもあるだろう。

一方でそれで良いのかという迷いは常にあって、正直な話、やめる事を考えた事も一度や二度ではない。転勤のような物理的な事情があれば悩む事もなく離れる事が出来たと思うのだが、幸いにしてか不幸にしてかそうした経験はなかった。そこにあるのは自らの決断のみで、だからこそ最後は踏ん切れずにとどまってきたのだろう。それだけ自分の人生におけるウェイトが大きいのだ。

そうした想いは、誰にでも大なり小なりあるだろう。人生の一部というのはある意味大袈裟かもしれないが、それでも毎週少なからぬ時間を割いて練習に参加し、年に数回ステージで演奏するというのは、決して小さなものではない筈だ。

だが、それでは変わっていく事は出来ない。今回の件は(それ自体は残念な出来事であっても)一つの転機でありきっかけなのかもしれない。そう捉えて決断をしていく事が大切なのだろう。

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2018年3月 2日 (金)

予定を組む

昨日はKオケの練習に楽器が必要だったため、朝がバタバタとしていた。平日に練習をするというのはそうした障壁があるのは否めない。時間の確保もそうだが、楽器を持っての移動というのは特に通勤時間帯というのは困難が付きまとう。

先週はU響の演奏会があって、結局聴きに行くこともできなかったのだが(なぜか打ち上げには顔を出したりしたのだが)、正直な話よく通っていたなと思わなくもない。楽しいオケだったし、今でも何とかなるならまた参加したいとは思いつつ、今では平日にそこまでのエネルギーを割けないと感じている自分がいる。

いやまぁ現実問題としてKオケとあわせて平日に2回オケ練習というのは普通に過密だろう。しかも土日もだいたい埋まった上での話なのだ。一方で、ここしばらくスタジオを借りて行なっている個人練習はそれなりに充実していると感じていて、これはこれで悪くないよなと思ったりする。

さて、この週末はそのKオケのホールでの練習と、F響のミニクラシックコンサートの本番がある。昨日のKオケの練習も、ソリストが来ているのに中々課題の多い状況だったのだが、ミニクラシックコンサートはこれまた弾けていない。できれば今日も個人練習を入れて臨みたいが、予約が取れるかも含めて流動的である。会社では絡んでいるイベントが開催されていて、それも見に行かなくてはいけないし、Kオケの練習に向けた諸々の準備もある。

やる事は沢山あるね!自分で予定を組んだ結果だけどね!

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