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2018年4月27日 (金)

ひらくPCバッグの使い分け

事情という程の話でもないのだが、今日は外出の予定があって会社PCの持ち出しが発生しそうな状況であるため、ひらくPCバッグをnanoではないものに切り替えた。中の物を全部移してもスペース的な余裕はあるのだが、さらに厳選。ケーブル類やバッテリーの類は省いている。

ひらくPCバッグnanoを導入する時に、いざとなればPCなどは別の鞄で・・・などと書いていたのだが、分かっていればこのように切り替えても良いわけだ。普段が大きいと移し替えが大変だが、普段が小さい分には移し替えに苦労する事もない。

中身がスカスカになってしまって(PCが入ればそうではなくなる)、一方でサイズが大きくなるので、持ち歩いていてややもっさりした印象。そう言った意味では、普段使いはやはりnanoが良いと改めて思ったりしたのだが、今日のような使い道があるのは嬉しい。昨日の情報断捨離ではないが、使わない鞄であれば処分も考えたいところだが、やはりこの鞄に関しては、そうはし難いところがある。

ようはこうした鞄の切り替えを遅滞なく漏れなく行える仕組みがあれば良いのだ。あとはその日の状況により、どちらにするかを決めるだけだろう。今朝の場合はケーブル類など一部迷うものがあり、仕切りなども最適化しきれていない状況なのだが、そうした葛藤も極力省いていけるように、双方の最適化をしておけば良い訳だ。nanoに無理やりMacBook Airを入れるのではなく、そういう時は通常サイズにスムーズに切り替えられれば良いのである。双方に適したあり方を考えれば、入れる物や形態もまた変わってくるだろう。

もちろん、全面的に同じである必要は無い訳で、双方の強みを活かせるような(その強みが何かはまだ見えないが)セッティングをしていきたいものだ。

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2018年4月26日 (木)

情報源の見直し

4月末にいくつかのサービスの解約を検討している。先日日経クロストレンドの有料会員の契約をした事もあり、情報源の見直しを考えたからだ。

といっても、情報源という視点で考えるなら、現状有料となっているのは日経電子版と日経MJ、そしてdマガジンである。

日経電子版は、正直見切れていない。実際には様々な形で日経の記事をクリックする事はあり、その際に役に立っているので全く見ていないという事はないのだが、では積極的に活用できているかといえばそういう事はないだろう。一旦解約する事でストレスを感じるようになれば再度契約する事になるだろうが、とりあえずは様子見だろうか。日経MJも同様である。

dマガジンの方はかなり利用しているとは思うので微妙なのだが、チェックする雑誌が増えてきてややそれがストレスになりつつある。増えれば実質的に流し読みのような状態になってしまうので、言ってみれば情報の断捨離のようなものだ。コンテンツの一部はオンラインでもおおよそチェックが可能なので、その辺りを情報収集のルーチンに取り入れれば良いのではないかと考えている。

情報源の見直しは、視点をずらすという事でもある。日経クロストレンドがその一つになってくれればとは考えているが、ようは人とは違う情報をどう入手していくかという話で、多くの人が利用していそうなサービスから一旦離れてみるというのも目的の一つだ。

あわせて、契約しているのにほとんど使っていないサービスの活用も考えていこうという事で、ひとまずはプライムリーディングをもう少し使ってみる事にする。正直冊数は少ないのだが、では多ければ読むかといえばそうではないので、絞られた中からという事になるだろうか。もっとも、これは視点をずらす事にはあまり結びつかない話ではある。

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2018年4月25日 (水)

ソリストに合わせる心構え

先日のオケの練習で、コンチェルトのソロの方から「ソロが多い交響曲として一緒にアンサンブルを作り上げるつもりで弾いてほしい」と言われた事が印象に残っている。ソリストの言葉としてではなく、オーケストラプレイヤーの言葉としてである。

考えてみれば、コンチェルトの時はソロに合わせようと必死になって聞き耳をたて、呼吸を読み取ろうとしているのに、交響曲の時には他のパートに対してそこまで真剣になっていない(ような気がする)のは何故だろうかと考えてしまったからだ。

もちろんアマチュアオーケストラにとってプロのソリストの位置付けは立場として全然違うというのはあるし、曲として考えてもコンチェルトにおけるソリストの位置付けは違っている。しかし、アンサンブルとして考えた時には、プロでもソロでも音楽全体の中での1パート一声に過ぎない。

特別扱いするなという事ではない。むしろ、他のパートも(自パートの他のメンバーも)特別扱いしようという事だ。それが当たり前にできるようになる事が、アンサンブルあるいはハーモニーという事なのではないだろうか。

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2018年4月24日 (火)

ひらくPCバッグのデッドスペース

ひらくPCバッグは横から見ると三角形となっているため、底がややデッドスペースになりやすい。オーガナイザーとして使う事を考えると、開いた状態で中の物にアプローチしやすい事が求められ、逆説的に開口部のサイズに制限されやすいからだ。

詰め込めば良いというものではないが、スペースの活用という視点ではちょっともったいないとも感じる。

ようはすぐには取り出す必要がないけれども、入れておくといざという時に助かるものを入れておけば良いのだが、基本的な思考が「使うものをサッと取り出しやすい」というコンセプトに逆に縛られてしまっているというか、「使わないけど持っておくと良いもの」に及ばないのだ。

大体、本当に使わないのだとしたら、それはデッドウェイトでしかない。ようは使い方のバランスという事になるのだが、適度に使うものであれば今度はアクセスの良さが必要(=鞄の底にはしまえない)となり、何というか、ジレンマである。

例えば折りたたみ傘というのはそれほど使う機会がないので、そこでも良いような気がするが、いざ使う場面を考えると鞄からサッと取り出せないのは何とも具合が悪い。現実問題として「底に配置する」というのは、取り出す際にその上にあるものを取り除くというプロセスが必要になるので、サッと取り出したいものにはそぐわないのだ。

でも鞄に入れておくもので、サッと取り出せなくても良いものなんてあるのだろうか。

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2018年4月23日 (月)

もったいない

iPhone5sは、あえなく使わないという結論になってしまった。やはり複数のデバイス、特にスマートフォンサイズのものを持ち歩くというのは手間が大きい。そのデバイスならではという機能がないなら尚更だ。

結論を出すのが早い気もするが、ズルズル試しても仕方がない。とはいえ、そうなるとではiPhone5sはどうするのかという話にはなる。正直な話、思いつく使い道がない。

そうなれば結局処分するという事になるのだろう。お金に変えられるという事は、社会全体としてみればまだ使い道が残っているという事になるので、できるうちにそうしてしまうのは決して悪い事ではない。もったいないというのは、そうせずに死蔵してしまう事を指して捉えるべきだ。

そしてそのように考えると、そういったものは他にもまだ眠っている気がする。それこそ使われることもなく「もったいない」形で死蔵されてしまっているものがあるという事だ。いやまぁ大分処分してはいるんだけどさ。

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2018年4月20日 (金)

待ちを生むスケジュール管理不全

昨日はKオケの練習日だったのだが、仕事が長引いて結局飲みに行くだけになってしまった。指揮者も欠席になってしまったのだが、とはいえ練習はしっかりやってもらえたようで、頼もしいというか、リードする人間がいたとはいえオケとしての成長のようなものを感じる。

そんな話はさておき、昨日仕事が長引いたのは作業のためというよりは待ちのためで、その辺りをスムーズに進められる方法はないものかと考えてみる。待ちの間にもちろん他に出来ることをやるのだが、それはその時でなくても良い訳で、この待ちによる時間拘束というのは、時間の使い方としては効率的とはいえない。

身もふたもない捉え方をするなら、待ちが発生する理由は遅延にある。スケジュールを前倒しで動けているうちはあまりそういった事態に陥る事は少ない。仕事のオーダーから戻りまでをコントロールできていれば、それは待ちにはならないからだ。そういった意味では昨日の待ちは明らかにスケジュール管理の失敗である。いや正直に言うなら管理しようとさえしていなかったと言うべきか・・・。

複数人が動くプロジェクトの中で、全体のスケジュールをどうコントロールするかというのは、本来もっと丁寧に考えていくべきなのだろう。自分のスケジュールだけ見ていれば問題ないようでも、全体を見渡してボトルネックがあればそれは自身にも影響する。難しいのはそのボトルネックにアプローチできるとは限らない点で、であればそのボトルネックをある程度考慮したスケジュール感を、自分が制御可能な範囲で持つようにしておかなければならない。

今回の件ではその点がうまく機能していなかったのは間違いない。自身の待ちが発生する程度で済んでいるから良いが、これがそもそもの進行の遅延につながっていれば、そんな事は言っていられないのだ。

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2018年4月19日 (木)

iPhone5s

昨日思いついて、WF-1000XをXPERIAからiPhone5sに接続し直し、音楽プレイヤーを替えてみる事にした。わざわざ(XPERIAで使いやすくするために)Google Play Musicを導入したりしたのだが、これで結局itunesに戻る事になる。まぁ実際の所ライブラリの大元はitunesのままであったのだけれど。

とはいえ、これが最適かどうかはしばらく使ってみなければ分からない。そもそもデバイスの複数持ちは必ずしも便利なチョイスとはいえないからだ。本来は1台で全て済むのが理想だろう。現実問題として、音楽を聴くという目的においてiPhone5sを使用するメリットは見当たらない。ようは「何となく使わないのももったいないので使ってみる」という程度の話に過ぎないのだ。

特にこれからの季節は上着がなくなったりして、デバイスは最小限の方がメリットが大きい季節になる。冬場は多少モノが増えても身につける方法がいくらでもあるが、夏場は鞄が必要になる訳で、これは機動力という点ではデメリットだったりする。まぁBluetoothデバイスの接続先なんてすぐに変更できるので、状況に応じてそうすれば良いだけの話ではあるが。

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2018年4月18日 (水)

鞄の中

時々雑誌の特集などで「誰々のこだわりの逸品」とか「仕事術」のようなものが紹介されていて、そうしたものを読むとでは自分はどうだろうか、人に語れるこだわりのモノややり方があるだろうか、と考える。

意外と無い。いや、実際には側から見ればあるのかも知れないが、あまり自覚的では無い。それはそれで良いとも思うのだが、時には自覚的に見てみても良いのかも知れないとも考える。

単純に自分の普段の持ち物を挙げてみるだけでも、無自覚なこだわりというのは横たわっているものだ。例えば現在通勤時に携帯している「私物」で、それなりに自分でチョイスしているものは以下の通りである。(この場合のチョイスというのは「鞄に入れて持ち歩く」という意味で、そのカテゴリーでのこだわりでは必ずしも無い)

・ひらくPCバッグnano
・iPad mini 4
・XPERIA XZ premium
・SONY WF-1000X
・(今は)iPhone5s(Wi-Fiのみ)
・Microsoftの折りたたみキーボード
・HUSの折りたたみ傘
・Zoffのリーディンググラス
・MOLESKINEカイエ evernoteモデル
・LAMY サファリの万年筆
・パイロットの万年筆
・シャーボX
・アブラサスの小さい財布
・gollaのスマートフォン用ウォレット
・ANKERのモバイルバッテリー
・iPad用のACアダプター
・各種ケーブル類、USBメモリ
・ヴィクトリノックスの小さい折りたたみナイフ
・エコバッグ
・名刺入れ
・A4二つ折りサイズのクリアケース
・その他保険証、目薬など

・・・意外と詰め込んでいる。

以前のひらくPCバッグの場合は、これにMacBook Airやヘッドフォンが加わったりしたのだが、サイズの関係で割愛されている。基本的にこれらはプライベートでもそのまま持ち歩けるようにある程度最適化がされていて、例えば旅行の時などにもそのまま持ち歩くケースが多い。

とはいえ、こうして挙げてみると、もう少しミニマルに出来るような気もしてくる。万年筆2本はいらないような気がするし(カートリッジを装着してしまった関係で使っているだけで、実質はLAMYがメインである)、ケーブル類も実は余計なものが混じっている。iPhone5sに至っては先日とりあえず鞄に入れてみただけで、正直言って全く用途がない。基本的に音楽プレイヤーと思っているのだが、iPad miniでもXPERIAでも音楽は聴けるからだ(一方で鞄に入れてみると意外に納まりが良いので、では何かに使えないかと考えたりしている)。

また少し棚卸をしてみるかな。

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2018年4月17日 (火)

身の回りのものをスッキリさせる

ようやくというか、以前使っていたiPad miniを下取りに出す手続きをした。何かをかわりに買うわけではないので下取りとは違うかもしれないが、ようは処分するという事だ。使わなくなって久しいのだが、なかなか手続きが出来ずにいた。

そういった「使わないもの」というのは、少なからずある。今回のように下取りに出せればそれはまだマシなものだろう。iPhone5sなど、ほぼ使ってはいないが処分に踏み切れていないものもある。

シェアリングエコノミーとまではいかないにしても、使わなくなったものも使えるうちに次に回すというのは、考えようによっては合理的なものだ。道具は使われてなんぼなのだから、自分は使えなくても次に使える人がいるなら、それは道具にとっても幸せな話だろう。

もちろん何でもそうというわけではなくて、愛着が勝って手放せないものというのはある。重要なのはそこにポジティブな判断尺度がある事で、「もったいない」という言葉で片付けるのはあまりよろしくないと考えている。

もっとも、心情としてはそうでもなかなか出来ていないのは、最初に書いたように少々面倒臭さが先立ってしまうからだ。そういう視点で見回せば、処分というか(その言葉自体がよろしくないのかもしれない)、次に引き継げそうなモノというのはまだあるだろう。一方でもう使えないというモノも結構残っているので、これは思い切って(本当の意味で)処分してしまっても良いかもしれない。

とにかく、少し身の回りをスッキリさせたいものだ。

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2018年4月16日 (月)

音楽に対して無感動になっていないか

この週末もサイクリングとオーケストラという事で、オケの練習が少なめだと他にもやれる事が出てくる。もっとも来月からはもう一つ加わるので、今がたまたま閑散期であるとも言えるかもしれない。

土曜日のサイクリングは街乗りの延長程度で、あきる野から狭山湖を経由して高幡不動というルートで40km程は走ったと思うのだが、筋肉痛などにはならなかった。そういった意味ではスキーよりも筋肉への負荷は少ないという事だろう。もっとも山道とかはあまり走っていないので、坂道をガンガン登ったりすれば違ってくるだろうか。今のところそういった強度をかけるつもりはあまりなく、車や徒歩とは違った移動を楽しんでいるだけではある。

日曜日は午前中はオケの練習をして、午後は他のオケの演奏を聴くという流れだったのだが、何を思ったか、自分は音楽が好きなのだろうか、とふと疑問に感じたりした。いや嫌いならこんなに漬かった休日の過ごし方はしないだろうというのはその通りなのだが、この過ごし方を自分は楽しんでいるだろうかと考えてしまったのだ。

例えば午前中の悲劇的序曲の練習。

弾いている最中はたぎっているというか、のめり込んでいる(むしろのめり込みすぎて我を見失っている)とは思うのだが、それが「音楽を楽しんでいる」のか、「楽器を弾くのを楽しんでいる」のかが、定かではない。楽器を弾くという行為として楽しいのは確かだが、それは本当に音楽を愉しんでいると言えるのだろうか。

そもそも音楽を「愉しんでいる」とはどのような状態なのか。

例えば午後に聴いたメンデルゾーンの交響曲第4番。

嫌いな曲ではないし、聴いていて耳に心地よいのは分かる(演奏の上手下手は別として)。この曲はそうではないが、曲によっては身体が痺れるような感覚に浸れる事もある。ただ、それは受け身の行為としての「聴く」結果であって、それが音楽の愉しみなのかと問われると、何か違うような気がする。

何というか、自分は音楽が好きなのだ、何故ならば・・・の「何故」の部分が抜け落ちている気がする。何事も理屈で説明できるとは限らないのだが、理屈抜きで好きなんだと言えるほどのめり込んでいる訳でもない。どちらかといえばその部分はひいてしまっていて、いや何となく・・・という言葉しか浮かんでこない。

最近はあまり(オーディオでも)聴いていないという事もあるかもしれない。ジュピター(※ホルストではなくモーツァルトである)やイタリアの終楽章をヘビロテしていた事もあったりしたのだが、そういった事もなくなっている。何というか、音楽に対して無感動になっていなだろうか。

まぁ少し飽和状態ではあるのかもしれない。

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2018年4月13日 (金)

続・赤信号を渡る理由

昨日の赤信号の話だが、この「赤信号」という例えが結構微妙に(人間性を見る上では)良いポイントを突いているというのは確かだったりする。

例えば昨日の例が、「誰も居ないお店のレジで商品を持ち帰るか」だったら、おそらく答えが割れることはないし、持ち帰ると答える人間は一発アウトだろう。「誰も見ていない崖の上で憎い相手がこちらに背を向けて立っている」でもそうだ。

窃盗や殺人であれば、(極論として実際にどうするかは別としても)それをすると答える人間はまず考えられないし、答えとして迷う事もない筈だ。(ただし、そこで理由を問われてしまうと逆に難しい側面があるかもしれない。)

それが赤信号の場合は迷い(意見の相違)が生まれやすい。その理由は、おそらくその行為の対象者が見えないからだろう。窃盗にせよ殺人にせよ、そこには明らかに被害を受ける相手が存在し、その結果を直接想起しやすいが、赤信号はそうではない。誰も居ない状況で赤信号を渡る行為が誰かに影響を与えると考える人は少ないだろう。

だから自分も状況によっては渡る。昨日の話は「自分に渡りたい理由があれば渡る」というもので、「渡る理由もないのに誰にも見られていないからと渡ったりはしない」というだけの話ではある。

一方で、では「誰かに影響を与えていない」と果たして言い切れるだろうかとも考える。この「対象者を想起しにくい」事案というのは他にもあって、昨今話題になっている海賊版の漫画サイトなども、悪びれず利用している人にとってはそういった類にあたる。想起できるかというのは、環境だけでなく当人の想像力にも影響されるからだ。

誰も見ていない赤信号を渡る事は、本当に世界のなにものにも影響を与えないものなのだろうか。誰にも迷惑をかけないというのは、単なる自分の想像力不足からくる無知ではないのだろうか。

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2018年4月12日 (木)

赤信号を渡る理由

赤信号を渡るか問題については、時々イラっとさせられる言動に出会うのだが、今回はプレジデントの「リーダーの掟」で飯島勲氏が取り上げていた質問について考えてみる。

質問というのはこうだ。

「今、あなたは道路で信号待ちをしています。しかし、その道路にクルマは一切走っていません。遠くの方をみてもクルマが来る気配すらありません。周りをみてもあなた以外に人通りもありません。人っ子一人いません。監視カメラもありません。
さて、質問です。あなたはこの赤信号を渡りますか。渡りませんか」

これはベトナムのスピーチコンテストで審査員が挑戦者に投げた質問だそうだが、飯島氏はこれを「就活生の人間性を見抜く質問」だとして、「渡りません」と答える学生はアウト、「堂々と渡る」と答えるなら幹部候補生間違いなしだとしていた。

ああ、この人は信用できないな、と感じた。仕事は出来るだろうし、確かに組織人として優秀かもしれないが、人としては全く信用できない。個人的には付き合いたくない相手の部類だろう。

自分の場合は「状況によっては渡るが基本的には渡らない」だ。

この場合の「状況」というのは、例えば自分自身に急ぐ理由があるかどうかである。先の質問に欠けているのはその要素で、もし意識的にその要素に触れていないのだとすれば、この質問に「渡る」と答える人間は「自分の行動を自分の意思ではなく環境で決めています」と答えているに等しい。

こういう人間は、問題が起きた際に、それを周囲の誰かのせいにする。赤信号を渡って仮に何か問題が起こったとしても、自分が悪いのではなく、「クルマもヒトもいないのが悪い」というだろう。それは万引きでも殺人でも同じだ。それを人間性だというなら確かにそうかもしれない。会社としてみれば、「会社のために」自らの意思は持たずに言われるままに行動する都合の良い幹部候補生ということになるだろう。

それと、この質問が一言一句そのままなのかは分からないが、仮にそのままだとすれば、もう一つ引っ掛けにも近い仕掛けがある。それは「あなた」が歩行者かドライバーかは明確に言及されていないということだ。無意識に歩行者であるかのように受け取ったなら、それは勝手な思い込みというもので、では車でも同様にするのか、そういう人を信用できるのか、と考えてみれば、少なくともそんな人間とはお近づきにはなりたくない気がする。

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2018年4月11日 (水)

リーディンググラス

昨日は帰りに会社近くのドコモショップに寄ってみたのだが、2時間待ちと言われた・・・閉店1時間前だし店員のWLBもあるよねという事で諦めて帰ったのだが、今朝一度Wi-FiをOFFにしたらあっさり繋がってしまった。何度かそれも試みたはずで、何とも不思議な現象なのだが、とりあえずSIM認証は復活したという事で良しとしよう。

さて、先週金曜日のミッションは昨日書いた通りだが、一つやり残した事に「コンタクト購入」というのがあり、土曜日に購入と検査に赴いた。視力に関しては最近近くを見るのが辛くなっていたので度数を変更しようと思ったのだが・・・

むしろ遠くも見えなくなっているという事で、弱くするどころか強くする羽目になってしまった。とはいえ、遠くが見えなくなるというのはつまり車の運転ができなくなるという事なので、それはいくら何でも困る。

では近くはどうすれば良いのか・・・という事で、老眼鏡を勧められた。今はあまりそのような言い方はしていなくて、「リーディンググラス」とか呼ばれている模様。

既製品の度数でも大丈夫という事だったのだが、せっかくなので調べてもらうと、もう少し弱い方が良いという事なので、とりあえず作ってもらう事に。この機会にという事でブルーライトカットの仕様にしてもらった。

で、一昨日昨日と職場で着けていたのだが・・・

初日はちょっとメガネそのものに慣れずに頭痛がしたのだが、昨日はそこそこ快調だった。着けっぱなしというわけにはいかないので(遠くはぼやけて見える)着け外しのタイミングがまだ慣れないのだが、少なくともPCやスマホの画面は見やすくなったといえる。細かい字が印刷された資料もまぁ読める。多分、楽になっているだろう。

逆に着けない時の見えにくさは、落差をより感じるようになったというか、辛くなったという感じで、これはもう見るなという啓示と捉えるしかなさそうである。

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2018年4月10日 (火)

サイクリング

iPad miniは相変わらずdocomo Wi-Fiに繋がらない状態なのだが、結局昨日分かったのはSIMによる認証となっているので、設定云々ではなさそうという事だけだった。とりあえずdocomoショップに持っていくしかなさそうという事で、ひとまず後回しである。
(ちなみに昨日は会社の新入社員歓迎会があったためショップには行けずに終わった。)

で、さかのぼって先週の金曜日の話。この日達成したミッション(?)は以下の通り。

・サイクリングをする
・スキー関連の道具の片付けをする
・スタッドレスタイヤをノーマルタイヤに変える
・耳鼻科に行く
・採血する
・散髪する

サイクリングに関しては、それほど気合いを入れている訳ではないのだが、スキーのオフシーズンの間は少し乗ろうかという事でGoogleカレンダーのゴールに登録をしてみた(が、今確認したら消えていたので再登録しなければ)。去年は文字通りオケ三昧な感じでそんな余裕もなかったのだが、今年は(今の所は)そこそこ余裕がある。

とはいえ、走る事自体を目的とはしたくないので「自転車でどこかへ行く」という目標設定は必要だろう。先週の金曜日に関しては、何となくという感じで実家のあきる野から立川まで思いつくままに走って終わりだったのだが、正直もう少し計画性というか、あとで「どこへ行った」と報告できる感が欲しい所ではある。(あきる野を拠点とするだけでは限界もあるが。)

車の方も今年は早々にタイヤ交換をしたので、その辺りも組み合わせながら(折りたたみ自転車なので、そのまま車載が可能)考えて行く事にする。

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2018年4月 9日 (月)

iPad miniがdocomoWi-Fiにつながらない話

先週iPad miniをiPadに機種変更しても良いよな〜と書いたものの、単にお金がかかるのも勿体無いので、ひとまずは努力をしようと、iOSのアップデートとアプリの再インストールをしたのだが・・・

docomo Wi-Fi に接続できなくなってしまった。

別に上記の作業が理由ではないとも思うのだが、何ともタイミングの悪い話である。とはいえアップデートをしたのは土曜日のスタバで、その直後から店内のWi-Fiに繋がらなくなっているので、何らか関係がある可能性がないとはいえない。その時は環境側かと思ったので(過去繋がりにくかった事はある)放置したのだが、自宅のWi-Fiには問題なく繋がるし、今朝のプロントでも繋がらないので、これは何らかのトラブルだろう。

パスワードが違いますと出るのだが、そもそも最初から入力した事などないし、念のため調べて入力してみたが、それでも接続はできなかった。

Wi-Fiモデルだとこの時点で手も足も出なくなるのだが、セルラーモデルなのでとりあえずはネットに繋がるしそのまま使うこともできるのが幸いという感じだろうか。

休みを取った金曜日の事とか書こうと思っていたのだが、そんな訳で残りの時間はトラブル対応に使用する事にする。

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2018年4月 5日 (木)

iPad miniとiPad

昨日iPad miniの代替機がないと書いたのだが、ではiPad miniではそもそも何をやっているのか。

使っているアプリはそれほど多くはない。入れてるだけのものを除けば、毎日のように使うのは次のようなものだ。

Googleカレンダー
Gmail
evernote
dマガジン
kindle
facebook
twitter

付随してGoogleフォトやDropboxも使うのだが、これはアーカイブ用という事で何かに使うという意識は弱い。

その他にもちろんミュージックやビデオなども使っているが、これは日常的とは言い難いだろう。SNSアプリも、通常はXperiaを使うので、あくまでもサブ的な使い方になる。

こうやって考えると、実は結構もったいないというか、贅沢な使い方をしているのは間違いないだろう。そもそもXperiaでも(画面サイズ的には厳しいものもあるが)使えるサービスばかりで、わざわざiPad miniを使うことか、という考え方もある。おまけにセルラーモデルなので回線契約もしている。コストは決して安くはない。(もっとも回線契約はその他の事情もあるのでiPad miniだけの話ではないが。)

デバイスに依存しないサービスを使う事を原則にしているので、XperiaでもiPad miniでも(なるべくなら)MacBook Airでも使えるのは当たり前といえば当たり前なのだが、そこで細かいデバイスの差が出てくる。dマガジンやkindleをiPad mini以外で使う事がほとんど無いのは、それが一番使いやすいと感じているからだ。

とはいえ、ここは考え方である。

実はdマガジンやkindleを使うと考えた場合には、iPad miniでは画面が小さいという課題がある。kindleに関しては重さの問題もあるが、本ならともかくコミックや雑誌となるとそれなりの大きさの方が見やすいのは間違いない。そしてサイズを優先するなら、特に本に関してはXperiaで良いというのは使い分けとしては妥当な話だ。(実際iPad miniは基本コミック用である。)

なるほどそう考えると、少なくとも次のiPad miniが出るまでの間だけでも、一旦iPad ProやiPadにしておくというのはありかもしれない。特にApple Pencilが使えるようになったiPadはそういった意味では魅力的な選択肢ではある。手書きのメモをどう代替するかについては、常に課題ではあるからだ。

問題はサイズと重量で、まぁ重量はともかくとしてサイズに関しては持ち運びのしやすさとトレードオフになるので悩みどころではある。コートのポケットであれば入ってしまうiPad miniのサイズ感は、特に冬場は大きなメリットだからだ・・・これから夏だけれども。

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2018年4月 4日 (水)

何かが使いにくくなるという事

iPad miniをiOS11にしてから、どうにもアプリの動作がトロくさい。特に利用頻度の高いevernoteとGoogleカレンダーのレスポンスが致命的で、毎回ストレスが溜まる。おそらく全般的に遅くなっていると思うのだが、 元々それほど多様な使い方をしている訳ではないので、とりあえずはこの二つがなんとかなってくれれば他は我慢できる筈だ。

で、そうなると物欲が・・・という話になるのだが、いかんせん代替機種がない。iPadにしろ、iPad Proにしろ、個人的なサイズ感としては大きすぎる。そんな訳でアップデートした事をやや後悔しつつ、(自分を)騙し騙し使っているというのが現状である。あるいは一度初期化とかすれば少しは改善されるのだろうか。

実際の所、iOSで新たに追加された機能というのも使っていない(使っている認識がない)し、そもそも何ができるんだっけという感じになっている。そういった意味では新しいものに対する感性というか、興味というのが薄れる傾向にあって、こうしたある種の好奇心の減退は少し問題なのではないかと思わなくもない。例えば10年前であれば機能やレスポンス改善やらをとっくに色々試していたのではないだろうか。いや15年前ぐらいか・・・。

自分なりのスタイルができてしまうというのはそういった事でもある。例えば経済的な事情はさておき、iPad Proを買っていない、必要ないというのは、iPadを使い始めた頃の(ある意味血気盛んな)興味関心からするとあまりに寂しい感情である。

いや物欲があれば良いというものではないのだが(実際今でも物欲は多々ある)、もう少しなんというか、新しい事や変えてみる事に対する気持ちというのを持ち続けていたいものだ。特にデジタルなんて、固定されててしまったらもう衰退だろう。

iPad miniが使いにくくなったというなら、それは次へ行けというサインなのかもしれない。

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2018年4月 3日 (火)

ひらくPCバッグnanoに最適化する

昨日書いた通り、ひらくPCバッグはノーマルからnanoに換装。もっとも移せないのはA4サイズのクリアファイルぐらいで、それは持ち歩く必要があるものかといえば必ずしもそうではないので、それほど工夫する訳でもない。

ただし、逆にいえばここから工夫はしたいところである。今はあるものを無造作に突っ込んでいるだけだが、それではオーガナイザーとしてのひらくPCバッグのコンセプトを活かしているとは言えない。あるべきものがあるべき場所に収まる形になってこそであろう。

なんとかしたい点はいくつかある。

まずはペン類。現状使っているサファリやシャーボXはnanoのサイドのペンホルダーにさすには少し長い。というか、クリップが引っかからない。これはひとまずはメモ帳を束ねるのにも使っているペンホルダーごとさす事で解消できるが、その場合手帳の方をどうするかという問題が残る。まぁこれは使っている1冊のみを奥のポケットに入れておけば良いだろう。

次にアダプター。モバイルバッテリーがあるので、あまりアダプターを持ち歩く必要性がないといえばないのだが、これが結構いざという時に重宝したりする。それとこれまたいざという時のためのエコバッグがいまいち収まりが悪い。

そして一番気になるのが保険証と長財布である。これはそもそもの所持形態から見直した方が良いかもしれない。特に財布については、日常使いが小さい財布である中で、ある種バックアップとしての長財布がかさばっているのはどうなのかという気がしなくもない。カードはカードで見直し、紙幣はクリアフォルダに入れておくようなやり方もあるはずだ。

とりあえずはカードだけでもなんとかならないか。適当なフォルダがないか探してみよう。

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2018年4月 2日 (月)

ひらくPCバッグとひらくPCバッグnano

少し前からひらくPCバッグnanoを使用していたのだが、先週PCが入らないという(当たり前の)欠点が露見して、少々手間な事態に遭遇した。単に鞄二つ持ちになったというだけだが、面倒というか、間抜けといえば間抜けな感じで、それではと今日はひらくPCバッグにしてみたのだが・・・。

今度は通勤時の取り回しがよろしくない。

A4の書類とPCが入るひらくPCバッグは確かにいざという時便利なのだが、正直それほど機会がある訳ではない。結局入れっぱなしだけど使わないクリアケースと書類というのが定番になってしまう。それであれば、いざという時は鞄二つ持ちを受容する事にして、普段使いはひらくPCバッグnanoにした方が、ストレスは少ないのかもしれない。

そんな事を感じた今朝の通勤だったのだった。いや新年度が始まって少々人が多かったというのもあるかもしれないけれども、これからさらに(学生が)増える事を考えるとやはり鞄は小さい方が良い気がする。

それより、いざという時の二つ目の鞄(会社用PCバッグとして会社に常備)を使いやすくしておく事を考えよう。今は余計な書類が詰まってしまっていて、取り回しがよろしくない。ついつい溜め込んでしまうんだよね・・・。

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