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2019年12月27日 (金)

2019年

今日は年内最終日という事で、基本的に平日にしか書いていないこのブログも2019年最終ポストという事になる。
今年は(も)色々あった・・・だろうか。
体調面では、網膜剥離というのが一大ニュースだろう。結果として軽めで済んだとも言えるのだが、診断された時は流石に愕然とした。ある意味防ぎようがない事故のような話ではあったのだが、それなりに年齢は重ねている訳で、今後こうした体調に関する事件(感覚的には事件である)というのは増えてくるのかもしれない。
ネットでは、Facebookで父親が友達になってしまったというのが大きな変化だった。これまで社長と友達でも平然と好きな事を呟いていたのだが、このトーンが下がったのは自分でも驚きだった。いやあまりにも親から子への私信感満載で公衆でコメントされると思うと、流石に何というか・・・恥ずかしいのだ。変な話、初めてネット上での発言に「恥ずかしい」というブレーキがかかったのだった。
(これまでも絡まれるリスクなどを考えて発言しなかった事はあるが、まさか自分としては何気ない夕食の投稿に「野菜を食え」などとコメントされる事がこんなにもブレーキになるとは思わなかった。)
そしてオケに関しては、休むという決断が大きかったと言えるだろう。実際に休むのは来年なので、変化があるのは来年なのだが、そうと決めてから1年ぐらいかけて休めるようにしてきた訳で、これが何をもたらすのかは、楽しみ半分不安半分という所だろうか。いや半々はないので3:1ぐらいか・・・。完全に断ち切る訳ではなく、あくまでもオケ活動に関しては「お休み」のつもりではあるので、再来年に(何処かはともかく)戻れるような関係もつないでおきたい。
来年はどんな年になるだろうか。世間的にはオリンピックだろうが、正直夏のオリンピックにはほとんど興味がない。むしろその期間、東京を脱出してのんびりできないかと考えるぐらいである。オケがなければ後は仕事次第なので、そういった事を考えても良いかもしれない。休日にやりたい事は先日一旦リストアップはしてある。
体調に関しては少し考えた方が良いだろうなという物欲も先日書いた。それ以外に人間ドックとか、身体を動かすとか、そういった健康管理面は少し意識したい。

Facebookは・・・まぁ何ともならんか(笑)

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2019年12月25日 (水)

体調管理

月曜日に体調を崩し、昨日は大事をとって休んだ。とはいえ、網膜剥離での(最後の)大学病院通院も控えていたので、自宅で安静していたばかりではなかったが・・・。
幸いにしてインフルエンザは陰性で、扁桃腺は腫れていたのでその後熱が上がるようなら再び検査という話になってはいたのだが、それもなかった。今朝はおおよそ平熱に戻り、マスクはしているが通常通り出社している。
今回の体調不良の原因は不明だが(大抵は不明だ)、前日の日曜夜の酒席がやたら寒かったというのが一つ考えられるかもしれない。早めに終わったのでその後のケアはしていたつもりで、翌朝もそれほどお酒が残っている感じはなかったのだが、身体にダメージがあったとすればその辺りであろう。
今回の件でちょっと考えたのは、スマートウォッチによるボディトラッキングを検討してみてもよいのかもしれないというものだ。
元々物欲もあるのだが、これまではあくまでもスマートフォンとの連携機能のみに注目していて、それなら今使っているSmartBandTalkで十分だと思っていたのだ。ただ、心拍数や睡眠時間などを(簡易的にではあるが)トラッキングするというのは、健康管理上の事として捉えても良いはずだ。実際職場にはそのトラッキングで血圧の変化などをモニタリングしている人もいる。そして残念ながら、そうした機能はSmartBandTalkにはない。

昨日の午前中、天井を見つめてぼーっとしながらそんな事を考えていたりしたのだった。

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2019年12月23日 (月)

休日の過ごし方

昨日正式にF響の休団届を提出した。
今年1年かけてオケの数を減らしてきた最後の仕上げということで、これで来年はKオケのみとなる。一つでも残っていればあまり変わらないかもしれないが、オフのある他のオケはともかく、通年練習が続くF響がなくなったことが、休日の過ごし方に大きな影響を与えるのは間違いない。
というか、変化がなければ意味がない。休日にやることがなくなったからと、やることがないまま過ごしては何のためにオケの数を減らしたのか分からない。
1.楽器は弾く
ここ数年感じていた音の荒れを矯正したい。レッスンを受けるといった考え方もあるが、正直練習に「追われる」状態にはしたくなく、当面は「ゆっくり追いかける」形にしたい。まぁ冬のうちは寒さもあるし、Kオケの方もあるし、スキーもあるので、その辺りは春頃からだろうか。あまり焦る必要はない。
2.自転車も乗る
土日にオケの練習がある状態でなかなか乗ることができていなかった自転車だが、これも暖かくなってきたら色々でかけてみたい。バリバリ乗るというよりは、のんびり散歩のようなサイクリングが良いのだが、車に積めるという利点を活かすなら遠出も可能だろう。
3.本を読む
いや本などいつでも読めるだろうというのはあるが、合間にではなくまとまった時間をとって読みたい。休日の午前中にカフェで本を読むとか幸せである。
4.コンサートに行く
練習が多いとまず予定が合わないのがこれで、プロは多くが平日の夜なので行く行かないは気持ち次第だが、アマは休日中心なので、予定を確保して色々なホールに聴きに行きたい。日が長くなってくれば、自転車で行くことも可能だろう。
5.とりあえず冬はスキー
とはいえ、ここからしばらくはスキーである。Kオケの本番が3月なので、ややかぶってしまうのだが、そこは上手く調整して、ここ数年実現できていないシーズン12日はぜひとも達成したい・・・雪の状態が不安ではあるけれども。宿泊でのスキーも検討したいものだ。

あとは旅行に行くとか、こうして考えると色々あって、案外年間52回の土日では足りないのかもしれない。年末年始に色々考えよう。

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2019年12月20日 (金)

サイレントチェロ

毎週木曜日は朝7時半からミーティングが入るようになり、そのために早く起きなければならないという事はなかったけれども(元々早いので)、Kオケの練習にあわせて楽器を運ぶのと、朝のブログを書くというのは流石にできなくなった。
これはこれで環境の変化として受け入れるしかないのだが、ブログはさておき、楽器は何らか考えなければそのうち練習に支障をきたすだろう。昨日はサイレントチェロを使用したが、本番が近づけばいつまでもそうしている訳にはいかない。
考えてしまうのは、他のオケの練習がないのでKオケのために楽器を会社に置きっぱなしにするという案だ。一応楽器を置いておける場所は確保しているので、不可能な考え方ではないのだが、少々気が引けるのと環境的にやや不安というのが問題点だろうか。とはいえ、春の演奏会に向けては考えなければならないだろう。
さて、昨日の練習はサイレントチェロを使用。きちんと弾けるようにはなりたいので、サイレントチェロを使うのも良いのだが、ポピュラーミュージック系はさておき、クラシックだとどうしても違和感があったりする。何が違うと問われても答えられないのだが、感じる音が違うのだ。身体に響く振動は明らかに異なるので、その辺りが違和感につながるのかもしれない。慣れの問題とも考えられるが、後は音の出口を工夫すればもう少し違ってくるかもしれない。スピーカーによって違ってくるのは体感としては経験済みだ。

その辺りをもう少し整えたい気持ちはあるのだが、なんというか手がかりがないんだよ・・・。

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2019年12月18日 (水)

空いた時間で何をするか

昨日に引き続き今日もiPad miniはなし。昨日は結局まっすぐ帰る以外選択肢がなく、例えばiPad miniがあればカフェにでも立ち寄ったと思うのだが、その辺りの自由度がないといえばない。ただ、それ(=立ち寄ること)が自由かといえば必ずしもそうではないとも言えるだろう。帰って特にやることもないからカフェに寄るというのは、帰って特にやることがないから残業するというのと動機的にはあまり変わりがない。
そういった意味では、時間をどう使うかということと、持ち歩くデバイスとは関係がない。iPad miniがあればカフェに寄れるというのは、iPad miniがあるためにカフェに寄るという縛りにもつながるだろう。
昨日は退社後をどう過ごせばよかっただろうか。帰宅の道中に食事をし、駅についたらドラクエをやり、帰った後は漫画を読んで、23時前には寝た訳だが、それはそれで良いような気がするし、なんとなく無為に過ごしているような気もする。そしてこの行程にカフェが加わったとしても、iPad miniで読むのは雑誌で、実は漫画を読んだりするのと時間の使い方としては大差ない。
なぜこのような事を考えるかといえば、今後オケの活動が激減すれば(実際激減すると思うのだが)、それまでそこに充てていた時間を何に使うかという命題が発生するからだ。これは土日の休日だけの話ではなく、平日夜に行っていた諸々のオケ関連事務作業なども含まれる。それがなくなれば、間違いなく手持ち無沙汰になるであろうボリューム感であっったことは断言できる時間が発生する。
オケを休むのは休養という意味合いもあるので、無理に何かをするのではなく、のんびりすれば良いという話もあるのだが、そこにもったいなさを感じてしまうのもまた性である。ある程度のマインドの転換は必要だが、ぽっかり空けるぐらいであれば、オケは継続したって良いのだ。そこに何かが発生してこその「休養」だろう。

何をしようかね。

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2019年12月17日 (火)

ネタ切れとiPad miniの話

今日はiPad miniを持ってきていない。
その気になれば何とでもなるというか、そもそもキーボードがあればXPERIAで大半は大丈夫であったりする。このブログなどは(iPad miniがあればそちらを使うが)まったく困らないので、ようは雑誌(dマガジン)と新聞(最近日経電子版を復活)を少し見やすくしたいという話ではあったりする。
で、今日はその時間が少々なさそうなので持ってこなかった。手ぶらの場合どうしても荷物になるし、ポケットの少ないトレンチコートでは収納にいまいち困るし、雨の予報で傘も持たなければならないから・・・と色々理由はあるが、「少々面倒になった」あたりが正解かもしれない。
その辺りの「持ち歩き欲」には気持ち的にムラがある。しばらく持ち歩きをやめていれば欲しくなるし、持ち歩いていれば不要と感じる。完全に割り切って所持自体をやめてしまえばそんな事もなくなるのだろう・・・とも思えず、結局ゆらゆらしながらどうするかを考えるといった所だろう。
鞄を持っていれば、おそらくこんな悩みは持たず、とりあえず突っ込んでおくに違いない。そもそも持ち歩くモノの数は限られているので、iPad miniを入れなければ鞄が空になっていまう。その程度の話だ。

で、今日は何でこんな話を書いたかといえば、単にネタが切れたというだけだったりする。

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2019年12月16日 (月)

演奏会終了

今年最後の演奏会が終了した。
2019年の演奏機会(=人前での演奏)は大小合わせて17回となった。余興的に演奏するものもあれば、普通のクラシックのコンサートもあり、練習に負荷が掛からないもの、掛かるものと様々なのだが、休日のみならず平日まで含めて相当にリソースを割いていたのは間違いない。
2019年の演奏会は年明け直後の1月5日、すみだトリフォニーホールからスタートした。初めてのホールだったのだが、もう遠い昔のようで覚えていない。
1月はもう1件アンサンブルコンサートがあり、地元のケーブルテレビで映像が(音は無し)流れたりした。
2月は文京シビックで、スメタナの「我が祖国」を再び演奏する機会に恵まれた。やったことのある曲というのは、大抵は忘れた頃に巡ってくるのだが、今回はほぼ連続して異なる団体、異なる指揮者、そして(微妙に)異なる楽譜での演奏。これはなかなか得難い経験だった。
3月は会社オケの定期公演(と言って良いだろう)と、バレエ公演のお手伝い。比較的ライトな月だった。
4月はイベントでのミニコンサートと室内オケの立ち上げ公演。しかしこの辺りから来年はお休みしようという気分になってくる。
5月は演奏機会がなくて6月に定期公演が1回。少しスケジュールに余裕感が出来て、やや骨休み・・・と言いたいところだったのだが、夏の演奏会に加えて秋の演奏会に向けた練習もスタートし、スケジュール的には過密の一途を辿る。
7月は急遽ゲームオケのエキストラ。そしてその後網膜剥離で戦線離脱。当初予定していた保育園でのイベント演奏には参加できず、急遽代役をお願いした。(パートはお一人というのを伝えておらず、行ってみてびっくりさせてしまった。)
8月はなんとか網膜剥離による手術・入院から復帰し、まだ経過観察中にもかかわらず演奏会を2回。この辺りは個人的にだいぶんヒヤヒヤしたし、片方は運営の要のポジションでもあったので、色々周囲に助けられた。
9月も演奏会は2回。かなり練習不足な上、7〜8月には欠席も多かったので、この辺りが一番キツかったと言えるだろう。
10月の演奏会は1回。本番が10月頭ということもあって、9月の演奏会から余裕なくなだれ込んでしまい、正直しっかり弾けたとは言い難い。
11月はアンサンブルコンサートとライブ。どちらも練習回数は少なく、ライブに至っては全員そろったのが本番(本番前のリハーサルではなく、本番のみ)という状況だったのだが、演奏自体はどちらも楽しくできたと言えるだろう。
そして12月の演奏会は昨日。流石にこの後月内に本番の予定はなく、そして来年も3月まで予定はない。お声がけはありがたくもすべてお断りし、来年は会社オケと機会があればアンサンブルには参加という形に限らせてもらう形で過ごす事になる。
さて、どうなるだろうか。どこかで飢えるだろうか。

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2019年12月13日 (金)

退団

F響にいるとあまり自覚する事はないのだが、ここ数年「人が足りない」オケと関わるようになって、エキストラというのは貴重な存在だと感じるようになっている。多くの場合必要とされるのは弦楽器のエキストラだが、管楽器であっても同様で、彼らに対する感謝というのは、パートからというよりも、オケ全体としてあるべきものだろう。
人を連れてくるのはパートに依存せざるを得ないとしても、そこでそれを「パートの問題」と突き放すようなオケであれば、自分がエキストラであったら、そのパートのために行く事はあっても、オケのためには行かないだろう。
これは、だからエキストラには最大限の配慮を払え、という事ではない。関係者の行動や言動の節々に本音としてのそういった意識が見えてしまうと、幻滅してしまうというだけの話だ。エキストラを呼ばなければならなくなったのはそのパートの事情だが、エキストラの側からすれば呼ばれたパートだけの話ではなく、そのオケ全体に対する印象につながるものだろう。
そしてそれはエキストラではなく、団員に対しても同様である。少なくとも自分にとってはそうだ。そこに見える本音を、自分は看過できない。
そういうオケには(あえて人ではなくオケといおう)居たくないな、と昨日思った。2年前がフラッシュバックし、ここまで無理して愛想よく付き合ってきたストレスが噴出した。
やはり休団ではなく退団としよう。奴が2年前のメールを履行しない限りは戻ることもあるまい。

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2019年12月10日 (火)

やる事がなくなるという事はない

働き方改革におけるマインドの転換で重要なものはなんだろうか。
昨日のミーティングで、「何もやる事がなければ早く帰ろう」という掛け声が出た。
しかし正直これは意味がないだろう。「やる事がなくなる」という事は、こと企画系の業務においてはほぼあり得ない。
何故なら、前倒しでできる事はいくらでもあり、我々は前倒しでやる事を仕事の美徳でありスキルとして躾けられているからだ。明日までに終わらせなくてはならない仕事はなくても、1週間後、1ヶ月後のためにできる事はいくらでもある。そしてそうした余裕を持つ事が、クオリティを上げる事に繋がる事も、我々は肌感として知っている。
結果としてやれるだけやろうとする。現実には長時間労働が集中力や創造力を低下させる事は実証されているが、それは実感ではない。やっている人間にとっては(極めて厄介な事に)そうした状態の方が脳が危機的状況をマスクするための脳内麻薬を分泌するので、むしろ「体感的には」効果が高いと感じていたりもする。
(そして少々時間効率が悪くても、絶対的な時間をかければクオリティは上がってしまう。)
つまり重要なのは「やる事がなければ帰ろう」ではない。
「やる事があっても帰ろう」が基本であり、「どうしても(このどうしてもというのはつまり明日が締切という事だ)やる事があるなら残ろう」というマインドセットにならなければ、「やる事があるので残業する」という循環を断つ事はできないだろう。
しかしこのマインドセットを持つのは極めて難しい。ともすれば仕事に対するモチベーションそのものを下げる事につながりかねないからだ。やりたいと思っている事を、自分の意思で「今はやらなくても良い」と考えようとするのは、心の中で二律背反を生むリスクもある。
そういった意味では「マインドとして帰らせる」という意識づけは、マネジメントとしては下策であろう。やりたいという気持ちを維持させたまま中断させるには、本人の気持ちではなく、外圧としてのマネジメントの指示でなければならないのかもしれない。
 
だからこそ「明日はもっと(集中して)やろう」という気持ちにかき立てられるのだ。親にゲームを止められた子供のように。

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2019年12月 9日 (月)

最後の練習

昨日の練習では「最後の練習ですね」と言われた。確かに、残るはホールでのリハーサルだけなので、これでしばらくオケの(通常の)練習からは遠ざかる事になる。いや会社のオケはあるので、「練習」それ自体はあるのだけれども。
後任についてはちょっと微妙な問題が生じて、もう少し動く必要があるかもしれないという気がしてきた。できれば個人の肩に全部おっかぶせるよりは、協議相談ができるような体制にしておきたい。本来ならばそれは委員長なりの役割だったりするのだが、現行の体制ではそれが難しい。というか、現委員長を理由に後任の話を断られたりすると、どんな人望だよと思ったりする。
規約上、委員長は委員の互選である。
が、事実上それでは動かない。それは自分がやっていた時もそうで、形式上は選出されるものであっても、現実には組閣に近い状況ではあるのだ。各パートの代表である演奏委員から演奏委員長を選ぶのとは、その辺りの環境が異なっていて、自然ある程度「委員長と上手くやれる人物」が係をやらざるを得ない。委員長「が」上手くやれる人物ではないというあたりが、事態を面倒にしていて、だったら委員長が好きに選ぶ(というか打診する)形にしてくれよと言いたくもなるが、それは規約上の考え方に反している。
オーケストラの運営というのは、面倒な仕事である。当人の多くは「楽器を奏でるために」参加しているのだから、それ以外の役割を面倒に感じるのはどうあっても避けられない。そういった意味では手を挙げてやってくれる人物というのは貴重で、それは委員長であっても同様なのだが、手を挙げてやろうという人間は、時にそれ以外の思惑も持っていたり、それ自体をマウントのネタにしたりするのが難しい所だろう。当人にその気はなくても、周囲からそう見られてしまえば関係ない。
それにしても、来週は最後の本番だというのに、演奏内容そっちのけで、当日の打ち上げの話とか、その後の組織の話とか、全然演奏に集中しているって感じがないのはどうなのだろうか。いや大体そうだったけどさ。

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2019年12月 6日 (金)

会議の無駄

昨日は早朝からの会議。それ自体は別に良いのだが、目的は何だろうかと考える。
先日は会議が無駄という事に異議を唱えてみたが、このように考えるという事は、この会議は無駄なのかもしれない。
無駄ではない会議とは何だろうか。無駄な会議については色々考えられるのだが、無駄ではない会議というのは意外に定義が難しい。成果結果が明確でない会議は「無駄な会議」だろうが、成果結果があるのは当たり前と考えれば、それが「良い会議」「無駄のない会議」の定義とは言い難い。
目的とゴールが明確なんていうのは、当たり前の前提条件だと思うのだが、一方で共有のための会議というのもある。情報共有はメールで良いという話もあるが、個人的には「インプット」が目的であるなら、会議という場か、メールかというのはあまり意味がない比較と考えていて、案件ごとにスピードと質で評価すべきものであると思っている。ようは「共有」と一括りにして手段を固定化するのは意味がないという事だ。そういった意味では「共有」もそれ自体が目的でありゴールである場合はある。
昨日の会議でいえば、結論が出たのか出なかったのかがはっきりしていない事はストレスになっている。出席者の役割として、意見を求められていたのか、合意を求められていたのかがはっきりしておらず、何のための意見を出しているのかが分からないというのは、少々辛い。まぁリーダーの考えている事を知る一助にはなったが、一方でまだまとまっていないというか、明確でない事が分かっても何もできないというのもストレスであろう。
つまり会議が無駄だと感じるのはそういう事だ。ただ、それは自分が「受身だった」という事でもある。受身で参加するから「分からない」という愚痴が出てしまうのであって、会議の目的を勝手に決めて、そこに誘導していくゲームにするという参加の仕方もあるはずだ。
とりとめない話になってしまったが、ようはそれぐらい漠然とした会議だったという事だろう。会議って何だよ。

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2019年12月 4日 (水)

何かを変えるとは結局何かをやめる事である

何かを変えるというのは、多くの場合、何かを捨てるという事に繋がっている。もちろん単に新しい事を「増やす」という変え方もあるのだが、正直あまり現実的とはいえない。1日24時間という枠が決まっている中で、何かを変えるというのは、それまでやっていた何かを変えるという事であり、それはつまりそれまでの何かを捨てるという事だ。
逆にいえば、これまでやっていた事やアウトプットはなんら変えずに「働き方改革」のようなものを成し遂げるというのは、そもそも掛け声として間違っているという事でもある。もし経営者や管理職がそのようなニュアンスのことを言っているとすれば、その真意は「変えるな」であろう。その「ニュアンス」には例えば取引先や他部署に影響を及ぼすなという事なども含まれていて、仕事というものの大半が他者との関係で回っていくものだとすれば、それに影響を及ぼさない「改革」というのは、「働き方」ではなく「作業」の改革にすぎず、そんなものはITに任せておけば良いという話である。
で、そういう視点で考えると、自分の仕事というのも何ら改革できていないと感じたりする。意識は「作業の改革」に向いてしまい、働き方を変えるという方向を向いていないのは間違いない。そもそも「働き方改革」というのは、そういうマインドの面においてこそ難しいもので、簡単にできるのはつまりそれが「作業の改革」にすぎないからだ。
何かを変えるインパクトを持つには、究極は何かをやめるしかない。部屋を片付けるという行為が、モノを捨てるという積み重ねから生まれるように、仕事においても、小さい事でも何かをやめる事から変革は始まるのだ・・・と思う。

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2019年12月 3日 (火)

少し前に(結構前か)、あまり読まないという理由で解約した日経電子版の契約を復活させた。「あまり」読まないのは確かなのだが、「全く」読まない訳ではないという事で、有料記事にアクセスできない事にストレスを感じるようになってきたからだ。新しい仕事が増えて、情報収集の感度が変わったという事もある。当然ながらMJもセットである。
加えて勢いで日経xテックの有料会員契約もしてしまった。ここしばらく読みたいと思った記事が有料会員向けという壁に阻まれた事もあるが、これも仕事の領域で必要になりそうだからである。なにを正しいとするか、なにを最新とするかの判断がネットの無料検索では難しい。特に最新の社会制度の動きなどはそうで、直近で気になっているのはデジタルマーケティングの領域では無視することのできない個人情報保護に関連する情報である。
ただし、インプットが増えた場合は、一方でアウトプットも増やしていかなければバランスが取れなくなる。正直にいえば、時間的にその辺りが難しくなってきているという課題感はあって、何か良い方法を考えなければ・・・的な焦りもあったりする。まぁ時間が足りないのはインプットについても同様なのだが、アウトプットのないインプットには、特に仕事の場合は価値がない。
とはいえ、まずはインプットからだろう。久しぶりに紙面ビューアーで日経を見るとあれもこれも気になったりして、なるほど断食ではないが時々「断ってみる」というのは、なんらかそれらに対する感度や鮮度に新たなステージをもたらすのかも知れない。
オケもそうなると良いものである。

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2019年12月 2日 (月)

役割の引き継ぎ

オケを(F響を)休む日が近づいてきた。最後の本番までの練習は前日を残せばあと1回。本番の翌週に運営委員会で後継者に引き継ぎ、年明けに総会に出れば、それで一旦途切れることになる。名目的には「休団」と考えているが、休団と退団で自身の環境が特に変わる訳でもない。
他のオケは「次回は乗りません」と宣言すれば済む話なのだが、F響の場合はそうもいかない。今抱えている委員としての仕事を引き継ぐ必要があり、その相手をまずは探さなければならない。夏の(秋の?)合宿の際にこれはという相手に一度打診はしているのだが、昨日改めて打診。正直F響の運営組織は属人的な側面が強いので、その辺りは結構面倒くさい。
個人的には自分の仕事を属人的にはしないようにしてきたつもりだが、恐らく周囲からはそのように見えていないだろう。基本的には全てドキュメントベースで進めていて、それを元に次を作っていけば良いだけなのだが、それを負担に感じるかどうかは人それぞれかもしれない。
自分が今の役割を本格的にこなすようになったのは、恐らく30周年60回定期演奏会の頃だ。そこからちょうど10年20回の演奏会をこなしてきている事になる(合間に第九とかその他の演奏会もあり)。演奏会ごとに実施要綱を作ってきたのだが、最初の頃は結構試行錯誤をしていたという自覚はある。あれをやろうとしたらそれなりに好きでないと出来ないと(流石に)思うのだが、最近はほぼ定型化していて、細かい部分のアップデートはしているが、基本的には演奏会の情報と担当者の更新をしているだけ・・・のはずだ。
元々誰でにもできるような定型化をめざしてきていたので、その辺りは難しい事はない筈なのだが、あえていえば「担当を決める」というのをあまり躊躇無くやってしまうような割り切る力は必要だろう。最近はそれも面倒くさくなってあまり入れ替えとかもせずにメンバーが固定化しているという批判もあるのだが、だったらお前がやれという話で、重要なのは演奏会がスムーズに進行される事だし、その辺りの調整コストは演奏そのものには何らメリットがないものなので、仲良しクラブじゃあるまいし、わざわざかけるものとは思っていない。
というこの辺りのメンタルが必要な可能性はある。自分としてはその辺りに有無を言わせないスタンスを貫いてきたが、担当が変わる事でその辺りの無駄な話を持ちかける人が増えてしまうようなら、負担は増えてしまうだろう。自分はやらなくても好きな事を言う人間はいるものだし、立場が強い人間ほどそういう傾向が強かったりするのが厄介だったりする。会社のような責任体制が明確でもないのにそういう事を言われても担当としては困ってしまうだけなのだが。
そういった意味では、仕事の引き継ぎがどうこうと言うよりも、そういう面倒があるかも知れないみたいな話はしておいた方が良いのだろうか。いやそれでやりたくないと言われても困ってしまうしな・・・。

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