« 何かを変えるとは結局何かをやめる事である | トップページ | 最後の練習 »

2019年12月 6日 (金)

会議の無駄

昨日は早朝からの会議。それ自体は別に良いのだが、目的は何だろうかと考える。
先日は会議が無駄という事に異議を唱えてみたが、このように考えるという事は、この会議は無駄なのかもしれない。
無駄ではない会議とは何だろうか。無駄な会議については色々考えられるのだが、無駄ではない会議というのは意外に定義が難しい。成果結果が明確でない会議は「無駄な会議」だろうが、成果結果があるのは当たり前と考えれば、それが「良い会議」「無駄のない会議」の定義とは言い難い。
目的とゴールが明確なんていうのは、当たり前の前提条件だと思うのだが、一方で共有のための会議というのもある。情報共有はメールで良いという話もあるが、個人的には「インプット」が目的であるなら、会議という場か、メールかというのはあまり意味がない比較と考えていて、案件ごとにスピードと質で評価すべきものであると思っている。ようは「共有」と一括りにして手段を固定化するのは意味がないという事だ。そういった意味では「共有」もそれ自体が目的でありゴールである場合はある。
昨日の会議でいえば、結論が出たのか出なかったのかがはっきりしていない事はストレスになっている。出席者の役割として、意見を求められていたのか、合意を求められていたのかがはっきりしておらず、何のための意見を出しているのかが分からないというのは、少々辛い。まぁリーダーの考えている事を知る一助にはなったが、一方でまだまとまっていないというか、明確でない事が分かっても何もできないというのもストレスであろう。
つまり会議が無駄だと感じるのはそういう事だ。ただ、それは自分が「受身だった」という事でもある。受身で参加するから「分からない」という愚痴が出てしまうのであって、会議の目的を勝手に決めて、そこに誘導していくゲームにするという参加の仕方もあるはずだ。
とりとめない話になってしまったが、ようはそれぐらい漠然とした会議だったという事だろう。会議って何だよ。

|

« 何かを変えるとは結局何かをやめる事である | トップページ | 最後の練習 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« 何かを変えるとは結局何かをやめる事である | トップページ | 最後の練習 »