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2020年3月25日 (水)

「自粛要請」という「責任の肩代わり」

今日は在宅でもなく休暇である。
 
イベントの自粛要請をトロッコ問題に例えている主張を見かけて、ちょっと気になってしまった。
 
【皆に考えて欲しい】K-1強行開催は典型的な「トロッコ問題」
 
もちろん厳しい事情というのはある程度理解できる(頭では、というレベルで実感ではないが)。ただ、一方でこうも思うのだ。
 
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大変厳しい見方をするなら、例えばメーカーやインフラ系の企業であればこうした事態において供給責任を果たすためのBCPなどを普段から準備しコストをかけている訳で、サービス産業におけるBCPはどのようなものなんですかと問わざるを得ない気もする。トロッコ問題ではなく、平時の備えの問題ではないのか。
 
トロッコ問題というのは「備えてない」場合の選択の話で、今回のは「事前に遠隔でトロッコを停められる装置を付けていたか否か」の問題である気がする。
 
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彼らは自粛を要請されて、「自身のリスクか」「社会のリスクか」という課題を突きつけられた。でもその選択のリスクは、本来誰しもが負っているもので、彼らだけが突きつけられた訳ではない。満員電車に乗って会社に行く人たちやその会社にはそうしたリスクがないとでも思っているのだろうか。
 
そう思っているとしたら、幸せで能天気だとしか言いようがない。
 
ある意味政治による「自粛要請」がなされ、補償を求めるとか反発するといった形でそのリスクを公言し、自らの選択には責任がないかのような発言ができているだけ彼らはマシなのだ。
 
会社や満員電車という場は、指摘されるようにおそらくイベントと大きく環境は変わらない。でもそこは自分たちの責任と判断で乗り越えなくてはならない。自粛要請がないから「やって良い」ではなく、自粛要請がないという事は、自らの責任ですべて判断せよという事なのだ。
 
仮に自粛要請がなかったら、「自粛要請がなかったので安全と考えてやりました。感染者が出たら自粛要請をしなかった政治の責任です」とでもいう気なのだろうか。自粛要請がない状況であったならば、自分たちはどう考え判断する気なのだろうか。
 
甘えるなよと言いたくなる。(黙っていろとは言わないが。)
 
今、会社は5割の出社でオフィスの人口密度を減らし(残りは追加コストをかけて環境を整えた上で在宅あるいは休暇)、状況によってはさらに減らすというオプションも想定しながら、いかにして事業を継続できるかを日々考えている。医療施設ほどのプレッシャーではないにせよ、そこには事業を継続しサービスと提供し続ける責任があると考えているからだ。
 
不要不急でないとはそういう事だ。観光サービス業もそうだというのなら、やれる事をやれるだけやる必要があるのではないか。本当に強行開催しか手段はなかったのだろうか。集まる顧客の自己責任に委ねるような方法しか。

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