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2021年7月30日 (金)

大画面ディスプレイ

昨日今日は在宅勤務。それにしても感染者も一気に増えてきて、昨日はディスプレイを見ようかと立ち寄ったモールの家電店が、従業員に感染者が出たとかでシャッターを下ろしていた。


そういえば当初はビル内に出ただけでビル全体をクローズするような事もあったけれども、最近は聞かない。芸能人の感染は報道されても、出入りしていたスタジオや局が閉鎖されたという話も聞かない。そういったご時世を考えると、先の家電店の対応は徹底しているのか、それともやりすぎだろうか。


で、本題はコロナではなくディスプレイである。渋谷出勤時も、2日目は人が少なかったので堂々とディスプレイを自席(フリーデスクだが)に持ち込み、3日目は結局ディスプレイのあるブースに入り浸ってしまったのだが、サブディスプレイがないと作業自体がやりにくいと感じるようになってきている。


ただ、厳密にマルチディスプレイが必要かといえば、もしかしたらそうではないのかもしれないという感覚もあって、必要なのは「2画面」ではなく「大画面」ではないかと思い始めてもいる。


そうした視点で考えると、自宅にあるディスプレイも厳密には「大画面」とはいえない。サイズこそ会社のノートPCよりも大きいが、何分古いので解像度はノートPCより(実は)低い。結果、画面上は大きく見えるが、画面内に表示できる情報は少ない。


大きく見えることは(老眼対策上)重要だ。その点で実は会社のノートPCはそもそもしんどい。その意味では2画面が必要というよりも、大画面が重要なのだ。一方で、画面に表示できる情報が少ないと作業効率がよろしくない。結果しんどくても会社のPCの画面も補助的に使わざるを得ない。


だとすれば、もっと大きくて解像度の高いディスプレイならば、1画面をどーんと使う形で済むのでは?そうすれば熱くなる本体は脇において、手元に外付けのキーボードを置いて、より快適な形で使えるのでは・・・と思って昨日家電店に行ったのだが、コロナで休業していたという話である。


結局緊急事態宣言も延長しそうであるし、この際もう少し在宅環境に投資するか、という気分になったのだった。マルチディスプレイよりも、マルチウインドウの方が楽だと思っているし、サブディスプレイ側の表示領域が大きくなるなら、会社のPCは解像度を下げて見やすくする(いまは表示領域を優先して解像度を高くしているので見にくいという事情もある)という選択肢もでてくる。


週末ちょっと探すか・・・。

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2021年7月29日 (木)

ほぼ日Weekly

昨日は「ラーメン屋で」「三つ折りのA4用紙に」書くという事を実際にやってみたのだが、ラーメン屋というのはさておき、A4三つ折りというのはあまり具合がよろしくないという結果だった。


ジョッターなどで固定していればまた違うかもしれないが、単純に三つ折りにした紙に書こうとするとふわふわして書きづらい。折れ目の関係で紙が浮き上がってしまうからだ。


その後(渋谷だったので)ハンズで手頃なメモ帳を探してみたのだが、何となくしっくりせず、一旦断念した。改めて考えれば、別にメモ帳が欲しい訳ではなく、今目指したい習慣から考えると、日記的な使い方をする手帳が必要なのだ。それはつまりほぼ日が(サイズはさておき)今の所最適に近いという事でもある。


少々大きいといっても、十分ポケットには入るサイズではあるので、無理やり別のものにするよりも、ひとまずこれを使い倒す方向で考えた方が良いのかもしれない。


では、ちょっとさかのぼって書きますかね。

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2021年7月28日 (水)

携帯する書くツール

昨日書いたとおり、持ち歩くカードを3枚に減らし、また少し身軽になった(と思う)のだが、今日はまだほぼ日手帳と万年筆を携帯している。昨日もカフェに寄るといった時間はなく、書くどころか開いてさえいない。


書くツールそれ自体がなくて良いとは思っていなくて、書くという行為自体は日々の中に残したい。そしてそうした習慣化を考えた時に、昨日書いたような「A4三つ折り」のような形では気持ちがのってこないというのがあるだろう。ほぼ日のようにきちんとした手帳ですら、その気持ちにさせるのは容易ではない。習慣化は気持ちの問題でないとは分かっているが、それでも気分は重要だし、切り替えのきっかけとしても形は必要だ。


まぁ自分の場合その切り替えに一番重要なのはツールではなく場なのだけれども。カフェにこだわるのはそうした理由による。


一方で、例えば昨日はつじ田に寄ったのだが、つけ麺が出てくるまでの間に、スマホを見るのではなく手帳を開くというのは、実はあっても良いはずなのだ。何となく場の雰囲気に気後れしたという感じなのだが、そういった意味ではどこでもさっと開けるようなモノを用意する事ができれば良いのかもしれない。


そうなるとジョッターか・・・微妙に大げさというか、何となく違うような気がするんだよなぁ。

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2021年7月27日 (火)

ミニマルにする

台風の影響は幸いに少なかったというか、今朝も昨日に引き続き渋谷に出勤。今週は明日も出勤なので、今日は行きも帰りも手ぶら通勤が出来る日になる。


持ち歩くスマホは、XPERIA XZ Premiumが復活して3台体制になってしまったが、財布を減らすことにした。SECRIDのウォレットは、デザイン含めて好みなのだが、何分財布を使う機会が減っているので忘れる事が多いのだ。その事は以前も書いた。


そこで、以前購入したPlogというスマホケースを使う事にした。ケースといっても本体に装着するタイプではなく、ベルトに装着するタイプである。スキミングに対応したカードホルダーも内蔵していて、ここに必要なカードといくばくかの現金を忍ばせる。夏場はポケットが減ってしまうので、スマホの携帯という側面でもこちらの方が合理的だ。


カードは今の所5枚入れているのだが、最低限に減らすのであれば、クレジットカード、キャッシュカード、免許証の3枚で事足りると思い始めている。SECRIDや小さい財布の場合、5枚を入れておいた方が安定するという事もあるが、このPlogの場合は可能な限り減らした方が面倒がない。別の機会に必要なカードを忘れる事がありそうだが、それこそSECRIDなどで補うべきだろう。


会社のiPhoneに貼り付けたMOFTもなかなか良い感じである。重量感は増してしまったが(会社の運用ルール上ケースは外せないので、直接MOFTだけで使うわけにはいかない)、視界に入る形で立てて置けるのは、着信を見逃さない助けになる。


ミニマルを考える上で、あとはほぼ日手帳である。連休中に書く機会を持たなかったので、3行日記が一旦途切れている。直後に手ぶら通勤をしているので、この手帳(と万年筆)の存在が今日はやや鬱陶しい。緊急事態宣言で20時まで営業の縛りがある中、帰宅前にカフェに寄って時間を確保するのが難しいという事情もある。


トラベラーズノートでは(パスポートサイズとはいえ)むしろかさばる感じがあるので、切り替えるのであればより薄く小さなノートが良いが、そもそも手書きのために手帳を持ち歩くかという話もあって、メモ用途であれば、abrAsusのメモ帳のような「A4用紙を3回折って使う」ような考え方もあったりする。3行日記のような使い方には向いていない気もするが、8分割というのは1週間という区切りには都合がよいような気もする。


その辺りも考えてみるか・・・。

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2021年7月26日 (月)

オケは好きか

4連休はダラダラ・・・もとい、ゆったりと過ごして、気持ち的なリフレッシュもできたなと思うのだが、何もしていないと思いつつ、三体は第2部まで読了したし、You Tubeで ターンエーガンダムを見たりもして、何もしていない訳ではないのだった。オケはしていないけど。


TL上ではオケの話題もどんどん出てくるようになったが、今年乗る予定の他のオケの練習は緊急事態宣言でキャンセルになっているので、先日の本番以降、しばらく機会がない。練習がなくても(個人の)練習ぐらいはした方が良いのだが、そんな事を考えていると、自分は本当にオケや楽器が好きなのだろうかという想いが頭をよぎったりする。


一時期、それがなければ生きていけないかのように練習予定を入れまくっていたが、なくなってみれば特に大きな喪失感があるわけでもなく、案外休日もそれなりに過ごしていけてしまう。今はまだ行動制限があるが、なければこの4連休もどこかに遠出をしていたりしただろう。もしかしたら(サイレントの)楽器を車に積むぐらいはしたかもしれないが、それを弾いたかどうかは怪しい。


もちろんのめり込むということもできなくはないと思うのだが、意外とそういう精神状態にはならないものだ。これは枯れたのかもしれないし、元々そうだったのを昔は無理していたのかもしれない。無理していたというと語弊はあるが、あれだけの機会を予定として詰め込んでしまうことで、無理やり思い込んでいた可能性はないとは言えない。


何分世間の状況が通常通り制約なく行動できる環境にないので、今の心持ちをどこまで「普通の気持ち」として受け止めて良いのかはやや疑問もあるのだが、もう少し距離を置く感じでも良いような気がし始めている。


先日の本番はそれはそれで充実していたので、同じように向き合っても良いのだけどね。

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2021年7月21日 (水)

キーボード

キーボードが欲しくなってきた。


スマホ用ではなく、PC用。在宅時の会社PC用のキーボードである。ノートPCだからキーボードが使いにくい・・・といった話ではなく、単純に熱い。


ビデオ会議含め負荷が増えているためか、ノートPCの発熱が半端なく、パームレスト含めた手元が熱くなって耐え難くなってきた。サブディスプレイはそこそこ快適だが、手元が熱いので集中できない状況が増えている。


キーボードまでそろえるのはどうなかと思っていたのだが、ここ数日の暑さに拍車をかけて、手元が熱いというのがきつい。


どこまでのキーボードを購入するかというのはあるのだが、ちょっと考えたいところである。

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2021年7月20日 (火)

電力需給

昨日は猛烈に暑くて、全国的にも猛暑日だったようなのだが、それでふと思い出したのが、電力需給って大丈夫なのだろうかという話だ。Facebookの思い出に輪番休日の事が出てくるからという事もある。


あの頃に比べて、原発が増えたといった話も聞かないのだが、テレワーク等で在宅する人も増える中、オフィスも稼働、家も稼働、(商業施設はやや控えめ、)という状況で電力供給に不安があるとも全く聞かない気がする。だとすれば、あの時の「電力不足」騒ぎは何だったのだろうか。


もちろん、関係者が努力してそうした事態を招かないようにしてきたという事はあるだろう。でも何となく釈然としないというか、シンボリックにオフィスの明かりを消すなんて話が数年前にあったとは思えないような状況ではないだろうか。


逆に言えば、あの当時に今回のような事態が重なっていた場合、どういった対処が考えられるだろう。オフィスを完全クローズして、逆に在宅への電力供給を優先するといった話になったりしただろうか。


今日も暑そうだがそんな事を考えたのだった。特に調べないけどね。

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2021年7月19日 (月)

財布とスマートフォン

少し前にスマホスタンドのMOFTを購入してみた。You Tubeなどで見かけて気になっていたので、一度試してみるかという事だったのだが・・・1日も待たずに剥がず(スマホの背面に貼り付けるタイプのスタンドである)結果となった。


まずXPERIA 5のケースを外して直接貼り付けてみたのだが、しばらくもてあそんで断念。続いてケースの上からも試して見たのだが、これも断念。さらにXPERIA XZ Premiumにも貼り付けてみたがこれもしっくりこない。結局会社のiPhoneにケースの上から貼り付けて一旦落ち着いているが、これはどちらかというと週末ほとんど使っていないからまだ評価ができていないという感じである。


そもそも会社のiPhoneには立たせるためのスタンドを必要とする動機がある(着信時のバイブがやたら弱いので、画面が目に入る形にしておかないと着信を逃しがち)のだが、個人のスマホにはそういった必要性がない。だったら何で買ったんだよという感じではあるが、実は動機はもう一つあって、カードをスマホとセットで携帯したいという事があった。


最近よく財布を忘れる。出先ではなく、出る時に忘れてしまうのだ。大抵の場合は、ほとんど問題がない。現金を使う機会は減っているし、カードも実はそれほど出番がない。


なので日常的に困ることは殆どないのだが、ある種の保険のようなもので、ない時と気づいた時には困ってしまうというか、やたら不安になってしまうのだ。


で、MOFTにはカードを数枚収納できるスペースもあるので、それを考えて購入したのだが・・・正直イマイチだった。カードも一緒に持ち歩ける利便性は確かにありがたいが、それでスマホの取り回しが気になってしまうようでは本末転倒である。XPERIA 5は裸族ではなくケースで使っているが、それも最低限でカード分の余計な厚みはできれば避けたいという事が、今回貼り付けてみてよく分かった。


それに実は、スマホを忘れてしまうという事も、無い訳ではない(財布ほどの頻度ではないが)。結局どうやって常にセットで忘れないようにするかは、別に考えた方が良いのかもしれない。

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2021年7月16日 (金)

三回線体制

iPad mini 6とか、XPERIA 1 IIIといった新しいデバイスの前に、XPERIA XZ Premiumにahamoでも挿して使えうようにした方が良いのではないか?なんて事をふと思った。三回線契約をしていた時はゲームマシン(というかドラクエウォークマシン)として活躍していたXZ Premiumだが、最近めっきり出番がない。


フラットな板である(そういえばiPad mini 6も裏面がフラットでなくなったら魅力は半減するな)XZ Premiumは、極めて個人的好みに基づくデバイスだ。好まないデバイスを買うことはないので、XPERIA 5だって好みではあるのだが、こちらは機種変更をすれば手放すだろう。それはXPERIA 1 IIIであっても同様の気がする。XZ Premiumを機種変更時に手放さなかったのは、何となくというタイミングもあるが、iPhone 5sを手放さなかった感覚に近い。


iPhone 5sは今更現役で使うのは無理だが(動かないわけではなく、SoftbankでSIMロックもかかっているので今更契約しない)XPERIA XZ Premiumは、まだまだ現役として通用する。ゲームやメディアマシンとして活用すると便利なのは、三回線を使用していた頃に証明済みだ。契約縛りを嫌って解約をしたが、ahamoであれば悪くないかもしれない。


XZ Premiumを使えるようになれば、手元の5(どちらも5だな)を1 IIIやmini 6に切り替える動機も弱くなる。というか、必要性はほぼ無くなる(元々ないという話もあるが)。


一方で「最新機種を追いかける」という考え方が悪手という訳でもない。気持ちの問題もそうだが、最新だからできる事に手を出すのは刺激としては正しい。ただ、その場合、XPERIAやiPadというブランドに拘る必要もなくなるので、その辺りは好みとのバランスがある。


とはいえ、ガジェット系のYouTuberでもあるまいし、そこまで考える必要もない。とりあえずXZ Premiumをもう一度使えるようにするか・・・。(ちなみにiPad miniのSIMを差し替えることも以前やったのだが、iPad miniの取り回しがよろしくないので、三回線体制の方が良いような気がする。)

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2021年7月15日 (木)

ゲーム音楽から感じるクラシック音楽の強さ

今日は時間がないので、2年前の昨日の呟きをまとめて再掲。Facebookの「思い出」機能はこのあたりが面白い。(なお一部誤字を修整。)


 
ところで今日の打ち上げは途中参加者による即興(?)演奏もあったりして、ちょっとなるほどと思ったりしたのだった。


前にも書いたけれども、ゲームオケのあり方というのはクラシックオケとはちょっと違っていて、なんというか「今」「リアルな音楽」というのを強く感じるのである。


何というか「軽音楽」(別に軽くないのだが)のバンドのあり方に似ているというか、今日の打ち上げに関して言えば、ロマン派の作曲家がリアルに生きていた頃のサロンというのは実はこういう感じだったのではなかろうかという気持ちになった。


即興演奏というのはクラシックの、特にアマオケ界隈ではあまり見かけない気がするのだが(単に自分が接する機会を作ってないだけかもしれない)、例えば各自が持ち寄った(互いに聴いたことがないような)曲を宴席でやるというのはなかなか考えさせられる現象だと思うのだ。


そうしたライブ感というのは少なくとも自分は失っていて、例えば今日も声はかけられつつ辞退したりした。いやまあその時点ですでにビールジョッキを6杯ぐらいは空けていたのでそもそも楽器を弾くような状態ではなかったのだが。


映画「アマデウス」には、酒場で酔って即興演奏をするモーツァルトの描写とかがあったりするのだが、つまりそれを現代においてどう実現できるかという話だ。


もっと言うならそういう場面を当たり前に作れる、日常の風景であるなら、それは何と豊かな音楽文化だろうか。


さて、そして今日ちょっと感じたのは、今回のゲームが発売20年であるとするなら、今の十代にはこうした活動はどのように映っているのかと言うことだったりする。それはつまりすでに次の世代を見据えた活動が必要になってきているのではないかという事だ。


少なくともクラシックオケに関しては、「高齢化」という問題はあくまでも個々のオケの話で、界隈全体としては若い世代が誕生している事は感じられる。ゲームオケはどうだろうか。


そこで問題になるのは、クラシックのような膨大なアーカイブがゲーム音楽界隈にはないという事だ。これは今の芸能音楽全体の話と置き換えても良い。
それは言ってみればメンデルスゾーンがバッハの音楽を再発見する前の状態にあるという事でもあろう。ベートーヴェンの時代ですら、音楽はコンサート会場における一期一会の存在だった。もっといえば、かの時代は再演の要望があれば行われ結果その曲を有名にしていったが、ゲーム音楽の世界にはその仕組みがない。


つまり状況としては、今のゲーム音楽オケを取り巻く状況は豊かな文化の発露である一方で、後世に残していける要素が薄いのだ。


これはプレイヤーだけの問題ではなく、作曲者や編曲者、JASRACのような権利関係を束ねる存在が互いに検討していくべき課題ではある。


言ってみれば、バズらない訳だ。話題としてではなく、音楽としてである。ゲーム音楽の作曲者たちは、編曲され拡散されるだけの音楽を書いている。それが今だけで終わるのか、未来まで残るのかという瀬戸際にあるとも言える。


しかしそう考えると「クラシック音楽」を一つのジャンルとして文化としたのは誰の仕掛けなのだろうか。ある意味それはとてつもない偉業である気がする。

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2021年7月14日 (水)

iPad mini

iPad Proが欲しいな〜でもAirでも問題なさそうだな〜などと思い悩んでいるうちに、iPad miniの噂がぼちぼち流れてきた。


miniが新しくなるなら、やはりminiが良いかなと思ってしまう。画面のサイズが小さいことによる見難さは、一方で取り回しやすさとのトレードオフで、正直なところもうずっとminiを使っているので、昔使っていた通常サイズの感覚が思い出せない。


画面サイズが大きければ、当然快適だとは思うのだが、取り回しの問題で結果使用頻度が下がるというのも考えものである。とはいえ今の現状がたいした使い道を持っている訳ではないので、案外サイズをアップした方が、用途が広がるという可能性もある。その辺りが悩みどころなのだ。


あわせてXPERIA 1 IIIにも興味があって、双方買うとなればバカにならないコストなので、それがブレーキになっている。XPERIAの方は完全に物欲で、iPadのような用途感覚がある訳ではない。スマートフォンとしては今の5で十分だし、使い込み方からしても、大きな不満はなく、むしろ1 IIIにした方がバッテリーなどで不満が出そうですらある。


で、iPadに思考を戻すと、正直新しいiPad miniがサイズ感として現行モデルより大きくなるようなら、多分躊躇するというか、通常サイズのiPad PROを考えてしまうだろう(画面サイズではなく本体サイズの話である)。その場合、iPad miniをPROに切り替えるというよりも、miniのサイズ感をデバイスとして残したまま、新たなサイズとしてPROを追加するという思考になるかもしれない。

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2021年7月13日 (火)

緊急事態宣言

四度目の緊急事態宣言である。


もうなりふり構わなくなっているなと思うのは、街の声として「オリンピックをやるのに緊急事態宣言は矛盾している」といった内容を耳にした時だ。


違うんだよ。「オリンピックをやるために緊急事態宣言」なのであって、そこはむしろ一貫しているとも言える。感染拡大を主語にするなら矛盾するかもしれないが、オリンピックが主語なら矛盾はしない。いや「オリンピックのために」感染拡大を抑えたいのだと考えれば、感染拡大を主語にしても矛盾しない。


つまり、政府としてはなんとしてもオリンピックをやりたい。これはもうおそらくメンツとしてもやりたいという事なのだろう。というか、やめるための意思決定はもうできないから、出来るところで緊急事態宣言をやる、という事だ。手続き的には、オリンピックをやめるよりも、緊急事態宣言の方がコストが低いという事かもしれない。


オリンピックのような祭典の(政治的な)強みは、事前にどんなにごたごたがあってネガティブイメージになろうとも、やりきって終わってしまえば「良かった」記憶として残りやすい点だ。多少無茶をしようが、やりきればポジティブイメージに転換できる。これがゴタゴタの挙げ句中止になればネガティブイメージしか残らないが、とにかくやってしまえば、その経過はプロジェクトXのように美談となる。そんな計算もあるのだろう。


ある意味、ちょろい。そう思われている。


ちなみに、政治の無策を問う前に、緊急事態宣言の再号令を防ぐ方法はあった。簡単だ。羽目を外さず、感染を拡大させないことだ。あっさり感染拡大を許すようなゆるい生活をしているから、政府につけこまれるのだ。

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2021年7月12日 (月)

クリック率とクリック単価

デジタル広告における重要な指標に「クリック率」というのがある。広告を見た人に対して、クリックというアクションがどの程度あったかというもので、広告の効率を測る指標の一つなのだが、このクリック率というのは、「広告主」にとってどれだけ重要なのだろうか、と最近疑問を感じるようになった。


広告を掲載するメディア側にとって重要なのは間違いない。クリック課金というシステムでは、少ない掲載料でクリックを得られた方が、かかるコストは少ないからだ。広告主としても、その広告がクリック課金ではなくインプレッション課金(見た数で課金)であれば、重要な指標になるだろう。だが、クリック課金では、コストは掲載ではなくクリックというアクションに掛けられている。例えば幅広く認知を取りたいような場合、少ない課金でインプレッションが多い方が、「目には触れる人が多い」という事になる。


もちろん広告主にとっても、ターゲットのアクションこそが最終的には重要だから、反応は気になる所だろう。当たり前だが無駄打ちはしたくない。無駄打ちをしたくないから「クリック率」という指標を見てしまう訳だが、問題はクリック課金における「無駄撃ち」の定義である。クリック率は、クリック課金で報酬を得たいメディアにとっては、間違いなく「無駄撃ち」を測るための指標だろう。しかし、広告主にとっての無駄打ちとは別の所にあるのではないだろうか。メディアのコストはインプレッションだが、広告主のコストはクリックだからだ。


もっとも、だからこそその先の指標としてクリック単価というものが設定されている。クリック単価の低さは文字通りで、広告主にとっての「クリックの効率」を測るものだ。重要なのはクリック率とクリック単価はセットで見せられはいても、全く異なる指標だという事だろう。改めて考えると、クリック率はメディアにとっての効率指標であって、広告主にとってはクリック単価こそが効率指標なのだ。


で、実はこんな事は教科書などを読めば当たり前に書いてある事なので、ようやく腹落ちしただけという話だったりする。


もちろんビジネスゴールに対してはクリック率もクリック単価もそれだけではあまり意味を持たない。こうした広告における指標をどうビジネスゴールに結びつけるかは、また次の議論ではある。

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2021年7月 9日 (金)

万年筆を購入する

少し前にクラウドファンディングで万年筆を購入した。完全に衝動買いだけれども。


それが届いたので試しているのだが、少し文字が太い。そもそも太いのが欲しくて、そのように(M字)指定していたのだが、これがいま日常的に常備している三行日記用の手帳のサイズ感と合わなかった。二行になってしまうのだ(笑)。


そんな訳で、何に書くかという所から選んでいかなくてはならないのだが、こうした書き味の確認はやはりオンラインでは難しいと感じたりした。万年筆はそもそも店頭でも試し書きをして選ぶ事を推奨される個体差があるそうだが、少々ギャンブルではあったかもしれない。


もっともM字を選んだ時点で、小さな手帳にちまちま書き込むよりは、大きめ(といっても持ち歩きを考えるとA5ぐらいだが)の紙に書きなぐる想定なので、そもそも手帳用途で判断するのが間違いではあるだろう。


黒一色のデザインと、ずしりとした手にした質感は気に入っているので、あとは慣れの問題とも言える。そもそも書き味を吟味できるほど日常的に文字を書いている訳ではないのだ。

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2021年7月 7日 (水)

オーケストラアレンジ

昨日書いたことに触発されて、久しぶりにラヴェルのスペイン狂詩曲を聴き比べた。何を聴き比べるかというと、ピアノ連弾版とオーケストラ版の聴き比べである。


再生環境がプア(iPad miniでイヤホンなし)だったので、視聴体験としてはいまいちだったのだが、これがオーケストレーションなんだよなと思ったりする。展覧会の絵と異なるのは、どちらも作曲者本人が書いていて他人の手による編曲とは異なる点なのだが、こうした「編成による違い」というのに妙に興味を持っていた時期があって、今でも結構好きだったりする。


自分が参加したサブカルオケは、どちらかといえば原曲も音色豊かな曲が多いのだが、ゲーム音楽が全てそうかと言えばそうではない訳で、そうしたずっとシンプルな音楽に対して、どんな編曲の膨らませ方をするのか・・・そんな事にも興味があったりする。


ピアノはまだ音も豊富だが、これが弦楽器一本で奏でられるような音楽だったらどうなるのか。そのようなシンプルな音楽を、いかにしてオーケストラという編成に拡大するのか。そんな姿を、実は見てみたい。いや元となるゲーム音楽に何か心当たりがあるかといえば、そんなものはないのだが。


でもそれは言ってみればブラームスのハンガリー舞曲が作られたのと同じような話で、そんな現場にリアルに立ち会ってみたいような気持ちはあるのだ。


・・・アマチュアに求めるような事ではないか。

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2021年7月 6日 (火)

編曲のあり方

今回の演奏会について、もう少し書いてみる。


終了後の挨拶で、編曲者が「私の聴きたかった音楽を聴くことができた」と言っていたのがとても印象に残ってる。客席で聴いていた合唱指導の先生や、原曲の作曲者が口を揃えて「オーケストレーションが良かった」と言っていたのと符合する話だなとも感じていたりする。


これまで参加したサブカルオケでは、特に最初期に参加した頃は「原曲では・・・」という話が演奏者から出て来ることが多かった印象がある。これは楽譜ではなく音楽が先にあって、それを再現したいという気持ちの表れだと感じていたのだが、参加を重ねる(時代を重ねる)に連れて、徐々にそういった話が減ってきている印象を持っている。


自分自身に関しても、今回はついにオリジナルのサントラなどを入手しなかった。前回の参加までは、雰囲気を掴む上でも原曲を聴くという事を(一応)していたのだが、今回に関しては楽譜とオケが実際に奏でた音楽だけが自分にとってのその世界になっている。これはクラシックでも未知の曲に取り組む心持ちに近くて、それが楽しみでもある。

(クラシックでも、多くは「知っている曲」に取り組むものだ。知られすぎている場合すらある。)


原曲を聴いていない以上、これは想像でしかないのだが、今回の編曲は作曲者の曲であると同時に、編曲者の曲でもあったのではないかと思っている。言ってみればムソルグスキーの「展覧会の絵」のラヴェル編曲版のようなものだ。だからこそ、その演奏においては、原曲の世界観をリスペクトしつつ、編曲者の想いが載せられた楽譜に(原曲以上に)向き合う姿勢が重要になる。


これは言い換えれば、「編曲」の持つ重みと広がりが豊かになってきた事を表している。個人的にはクラシックの世界でもそうした潮流はあって欲しい(実際19世紀頃はそうだったらしいが)と思っているが、むしろこうした世界の方がそうした広がりは持ちやすいのかもしれない。


他のメンバーがどのような気持ちで演奏していたのかは正直分からないのだが、個人的にはそんな事を感じていたのだった。いや全然勘違いで原曲通りなのであればごめんなさい。

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2021年7月 5日 (月)

演奏会終了

実に1年半以上ぶりの演奏会本番が終了した。昨年1年は元々お休みの予定で、それでも会社オケだけは継続するつもりが、それも新型コロナにより休止。今年に入ってもすぐに復活という感じにはならず、半年以上たっての本番となった。


もっとも、休みの後の復活はぼちぼちで進めようとは思っていたし、そもそも年明けから練習に参加して本番となれば、結局これぐらいのタイミングにはなってしまうのだが。


久しぶりの本番は楽しかったのだが、おそらく他のメンバーと感覚が異なるのは、新型コロナで活動休止を余儀なくされていたという感覚が薄い点だろう。自分にとっては、ある意味1年間の休暇からの順当な復帰ぐらいの感覚なのだ。そこは活動したくとも活動できずに我慢していたオーケストラプレイヤーとは感覚が異なる。


今回も、昨年実施のはずが流れて今年開催となった演奏会で、むしろ昨年順当開催であれば、客席で聴いていた筈なのだ。他のメンバーには申し訳ないが、個人的には新型コロナのおかげとも言える。


さて、復帰第1回の演奏会が、純クラシックではなくサブカルオケだというのも何の因果かと思うのだが、何度か書いているが、個人的にはサブカルというジャンルは関係なく、こうしたオケはその時代感みたいなものが気に入っている。作曲者が同時代の人で、音源はあってもスコアはなく、音源から採譜をしてオリジナルの編曲を行い、それを商業的ではなくアマチュアとして演奏するという音楽活動の持つ時代感がとても好きなのだ。

(なのでメンバーには申し訳ないが取り上げる作品や音楽はあまり関係なかったりする。)


これは小規模に考えれば、ようはバンド活動と同じである。気の合う仲間で、好きな音楽を耳コピして楽しむというものだ。分野的にはバンド譜などスコアも多数あるので、その点は異なるかもしれないが、音楽活動としてはそうしたものに近い。違うのはそれがオーケストラという極めて大規模な音楽活動である点だろう。運営には頭が下がるが、この活動を成り立たせるための労力は半端ない一方で、それが実現できる社会としての豊かさも実感する。

(単純に経済的な話だけでなく、人の文化的素養なども重要な要素であろう。これを豊かと呼ばなくて何を豊かとするというのか。)


さて、次はクラシックオケ。スコアと時代の蓄積のある世界には、当然その世界なりの魅力がある。まずは今回よりも格段に難易度が上がる楽譜と格闘しなければ。

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2021年7月 2日 (金)

数字のモヤモヤ

緊急事態宣言が終了して、また感染者がじわじわと増えてきているのだが、どうしてこうも分かりやすく数字に現れるのだろうかと思ってしまう。


一方で、数字とはそういうものなのかもしれない。ビジネスを数字で語る必要があるのも、ようはそういう事だ。想いとか、感情とかは関係ない・・・という訳ではなく、それも結局数字には現れるし、そうであれば、あまりその部分は考えなくても良いのでは?という事である。


というか、緊急事態宣言が明けて気持ちが緩むとか、そういった理由はどうでも良い。重要なのは数字が増えている(その一方で緊急事態宣言下では数字が減る)という事実だ。もちろんその数字のボリュームの持つ影響は考慮する必要はあるが、増減の傾向は事実として認識しなければならない。


とはいえ、こうなると個人ではどうしようもないという気持ちもある。そもそも生活スタイルは変えていない(いや一昨日外でお酒は飲んだけれども、あれも一人だし)。自分がその数字の一部にならないような配慮はするとして、他人の行動を制限できるものでもない。


なんというか、モヤモヤする。

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