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2021年8月31日 (火)

出なくても良い会議

時間を生み出すためのセオリーとしてよく言われる「出なくても良い会議に出ない」ために、その必要のない会議を見極めるのは、実はそう難しくない。実際に参加していれば、自分にとって必要なのかは、考えなくても分かってくるものだからだ。


一方、「読まなくて良いメール」や「出なくても良い電話」を判断するのは難しい。どちらも読むなり出るなりしなければ、それが不要かの判断はできないからだ。会議であっても、判断のためにはアジェンダの把握が必要だが、メールや電話のアジェンダを事前に把握することは、当たり前だができない。

(もちろん、メールの場合はタイトルがその一助になるが、同じテキストベースのチャットとなると、それもできなくなる。)


その割に(電話はさておき)メールを「読まない」的な判断が出来るのは、「そうはいっても重要であれば改めて連絡がある」とか、結局「次の会議で共有される」みたいな感覚があるからだ。無駄に思える会議でも、出ることで共有される情報は、同じ情報をメールから得ようとするよりも容易である事が少なくない(そして現実にはメールでは得られない事も少なくない)。


本当の意味で非同期のリモートワークを浸透させていくには、その点をクリアしなければならない。時間を同期させなければならない会議がなくなるのは、一見時間効率を上げるようだが、その内容をテキストベースで非同期に共有しようとすると、実はトータルでは時間コストが上がってしまう可能性があるからだ。特に今メールを「読まない」「読めていない」層に対してはそうなるだろう。そもそも日本人は活字をあまり得意とはしていない(気がする)。


ちなみに、個人的にはオンライン会議は「内職を併用」するのが効率的なやり方ではないかと思っている。30分の会議の際に、30分フルコミットの必要があるメンバーと、実は1分だけ参加すればよいメンバーでは、会議に臨む姿勢が違っていても良いという考え方だ。会議が無駄に感じるのは、その1分のために残りの29分何もできないからだろう。その1分を切り捨てて会議に出ないという選択肢もあるが、1分だけフルコミットして、残りは聞き流しながら別のことをやるような参加の仕方ができれば、会議の効率も変わってくるのではないだろうか。


会議室の会議でそんな運用は無理だが、オンラインであればやり方次第でそれも可能なのだ。

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2021年8月30日 (月)

Yoga Tablet 13

週末は本来であればオケの練習が(2件)あったのだが、どちらも緊急事態宣言の影響で中止となっている。片方は今年の演奏会は中止になり、昨年同様試奏会となった(昨年は参加していないが)。

9月12日までとなっている緊急事態宣言も延長の話がチラホラ出てきていて、まだ先が見えない状況が続きそうである。


それとは全く関係ないが、少し前からLenovoのYoga Tablet 13が気になっている。週末見かけていたら衝動買いをしてしまっていたかもしれないが、HDMI入力を備えた、「外部ディスプレイ化できる」タブレットである。


欲しい理由はいくつかあって、最大のものは外部ディスプレイとして使える=会社でサブディスプレイとして使える、というものなのだが、以前からiPadで悩んでいるように大きなディスプレイの(PCではない)端末が欲しいというのがある。結局iPad miniを使っているが、最近は携帯性もそれほど優位でなくなってきている。


タブレットとしての有用性で考えれば、何がどう転んでもiPad Proに軍配が上がるのだが、iPadを外部ディスプレイとして使うにはPC側へもアプリを入れる必要があって、それは会社のPCに対してはできない。Yoga Tablet 13の優位性はその点にあって、特に出社時のディスプレイに悩む身としては福音のように感じられたのだ・・・が、


冷静に考えれば、単なる物欲である。


そもそも会社での使用を口実にするのは良くない。


もちろん、Android タブレットには魅力もあって、基本Googleでサービスを固めている身としては、iOSの端末は時々?となるような使い勝手を感じることもないわけではないので、この際タブレットもiPadではなくAndroidタブレットにするという選択肢も十分ありではある。


だが、外部ディスプレイとしての使用以外の場面では、間違いなくiPadが優位だろう。そのiPadでさえ自重している状況で、別のタブレットに飛びついてしまうのは短絡すぎる。モバイルの外部ディスプレイが必要であれば、もっと安いものはいくらでもあるだろうし、単機能であれば会社に置きっぱなしにしておくという選択肢も出てくるからだ(在宅用は大きなディスプレイがあるので不要である)。


いやまぁ結局iPad Proも欲しいよね・・・という話ではあるのだけれど(汗)

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2021年8月27日 (金)

我慢の痛みと変化の痛み

最近セブンイレブンの殆どのレジは、客の側で支払い方法を選び、現金などを投入するスタイルに変わってきている。客と店員の接触を減らすための一つの方法だが、オペレーション的にも店側のメリットは大きいだろう。


その投資ができる体力の問題はさておき、物理的にやり方を変え、そのインフラを整える時間は、十分にあったという事だ・・・その意志さえあれば。


つまり厳しいようだが、今、緊急事態宣言であたふたしているというのは、そうした変化をしようとせず、ただ通り過ぎるのを待っていただけとも言える。


何かを変えるというのは、セブンイレブンのようにインフラを変えるというのもあるし、ルールを変えるというのもあるだろう。緊急事態宣言が飲食店に「一時的な我慢を強いている」のは、一方でルールやインフラを変えるほどの「変化は強いていない」という事でもある。


例えばお店における一人あたりの最低スペースを規定し、換気などの設備を営業許可の条件とする、といったルールが設定されていたらどうなったのか。


一人の場合は軽減税率、グループの場合は人数に応じて累進税率とするような消費税を設定していたらどうなったのか。


利用は事前予約と決済、代表者だけでなくすべての客情報の登録を前提とし、クラスター発生時には情報提供を前提とするといった方針が提示されていたらどうなったのか。


そんなのできっこないという変化への抵抗は、このご時世においては我慢の受容という選択でもある。

(飲食店を例にしているが、あらゆる業態において、こうした「変化か我慢か」が突きつけられており、多くは我慢を選ぶか、幸いにしてどちらも選ぶ必要がなかっただけだと考えている。)


緊急事態宣言は「変えないための我慢」でもある。一時的な我慢というのは、実は変化よりも痛みが少ない場合が多いからだ。今回の場合は、その我慢の痛みが、実は変化の痛みよりも酷かったのではないか・・・という事態に突入しそうな気配だが、ではこのまま我慢を続けるのか、一時的にはより痛むであろう変化を今からでも望むのか、我々はどちらを選択すべきだろうか。

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2021年8月25日 (水)

ワクチンと生活習慣

1回目のワクチン接種が終了した。職域接種ではなく、自治体での接種だ。ファイザーだということもあるし、カルテがある病院で接種してもらった方が何かあった時に良いような気がしたという事もある。


結果から言えば、翌日の今日少々腕が重いぐらいで、だるさも発熱も、およそ副反応らしきものはでていない。2回目がどうなるかはもちろん分からない訳だが、1回目で出て2回目は出ないという事はなさそうだと考えると、1回目が出ていない分、まぁそれほど恐れる必要はなさそうである。


2回目は三週間後という事になるが、では接種が終わったらマスクを外して自由に行動できるかといえば、そんな事はないと思っている。巷間で言われているようなエビデンスベースのリスクも理解した上ではあるが、そもそも個人的な経験として「マスク」「手洗い」「うがい」は今後も続けて良いかなと考えている。


元々ワクチンを打っていても、大抵インフルエンザにはかかっていた。もちろん打っていなけばそれ以上にひどいことになると思っているからワクチンを打つのだが(実際打っていない年のインフルエンザはよりしんどい感覚もある)、そんな自分が昨年と今年はワクチンを打たなくてもインフルエンザにかかっていない。


それはつまり生活習慣の変化によるものだろう。インフルエンザもコロナも呼吸器系の伝染病であると考えれば、個人レベルの「予防」としては理にかなっている。正直コロナが落ち着いたとしても、インフルエンザの予防として「マスク」「手洗い」「うがい」ついでに「テレワーク」は続けたい所である。

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2021年8月24日 (火)

穴を埋める

PodcastやYou Tubeを視聴していると、様々な形でその人の「推し」に触れることができるのだが、そうした他人の推しに触れるたびに、自分にはそういったものがないように思えてしまう。


正直な感覚で言えば、コロナ前にはあれほど自分の生活を占めると思っていたオケやスキーでさえ、不要不急だったのではないかと感じるのだ。これは社会通念的な話ではなく、自身の感情としてである。何というか、できなくなっても渇望感がなく、なんとしても再開し、人に推したいという感情が薄い。


それはそもそも認知症の前段階としての脳機能低下・・・かもしれない訳だが、少なくとも今の感覚では、コロナの影響が全くなくなったとしても、諸手を挙げて邁進するという感じにならないような気がしている。


そうした無気力感というのは、あるいはコロナや緊急事態宣言というものがもたらしたネガティブな影響であるかもしれない。おそらく、似たような感覚になっている人はけっして自分だけではないだろう。そう思いたいというよりも、普通の反応としてそうなる可能性は高いのではないかという話だ。


実際にはある種の気分のようなもので、そこまで深刻な受け止め方はしていない。コロナに「流された」のであれば、コロナ後の解放感にも「流される」だろうからだ。むしろ「流されていた」事を自覚できた分、今後は流され方にも変化があるかもしれない。それはそれで楽しむべきものだろう。


あえて言えば、今はオケやスキーがないことで空いた穴を埋めようとはしていないのだ。なぜなら埋めてしまえば戻せなくなるからだ。穴が空いたままなのだから、その時が来たら再びオケやスキーを流し込めば良いだけの話だ。


・・・とそんな事を考えるとちょっともったいないような気もしてくる。埋め尽くす必要はないけれども、何かをちょっと詰めてみて、新たな楽しみを見つけるって人生もあるんだよなぁ・・・。

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2021年8月23日 (月)

組織の枠組み

先週もかなり(仕事が)バタバタしていて、それがどうも自分だけの話ではないという事も感じるようになって、さて、ではそれはどのように解決していくべきなのかと考える。


これはリモートワークによる非効率化の一部で、コロナが過ぎ去ってオフィスに集うようになれば解決する問題なのか。それとも、一見そのように見えて実は全く異なる構造的な問題なのか。そして仮に前者であっても、いつまで続くかわからない中でただ耐えて待つだけで良いのか。


さらには、それは個人のレイヤで解決できる問題なのか。個人では難しいなら、組織としてはどのように対応すべきなのか。


そんな事をとりとめもなく考える。正直あまり意味がないと思うのは、個人のレイヤであるならともかく、組織のレイヤであればそれを考えるのは自分の役割ではなく、一方で個人のレイヤでできる事は(今の枠組の中では)だいたい終わっているだろうと感じる事だ。


あとは根本的な枠組みを変化させるしかないのだ。


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2021年8月20日 (金)

汗をかく

今週は前半は雨の影響もあって寒いぐらいの涼しさだったのだが、徐々に温度も上がってきて昨日はそれなりの暑さになった。今日はもっと暑いだろう。


オフィスで汗ばむのはいやだが、在宅では・・・まぁ多少汗ばんでも良い。服装も(ビデオ会議に備えてそれなりに整えてはいるが)そのあたりは許容できるものにしている。


そもそも、多少は汗をかくようにした方が良いとも思っている。本来は運動で鍛えるべきだろうが、汗腺をもう少し使えるようにしたいからだ。そのためには、多少なりとも汗が出たほうが良い。不快になるほどは避けたいけれども。


もちろん熱中症などは論外なので、そこは注意しつつなのだが、夏は暑いのが当たり前(今の暑さが正常かは別として)なので、そこはそういうものとして乗り切っていきたいものだ。

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2021年8月19日 (木)

解釈と言い訳

昨日の夜に今日のネタを思いついたのだが、メモをしておかなかったので何だったか忘れてしまった・・・。


首相が経団連の会長を「訪問して」テレワークの徹底を要請したそうだが、なんとも滑稽というか、言う事とやる事が一致していないだろうと思わなくもない。5人の会食(黙食だったと言い張っているそうだが、黙食で良しとするなら飲食店の営業を制限する必要はないだろう)もそうだが、「解釈」と「言い訳」というのは、こうした事態においてはどうにも厄介だ。


トップや指導的立場がそうした行動や解釈を行っていれば、当たり前だがそれは全体に拡大する。毎日の「リアルな」記者会見もそうだし、マスクを外してやるのも何故なのかと思ったりする(マスクを外すならリモートでやれば良い)。どうにもちぐはぐで、確かにそういった場面を見せられていれば、「緊急事態」だなどとは思わないだろう。


とはいえ、そうした行動は自分にもある。一人の黙食だけれども外食はしているし、トイレ休憩以外では車外に出ないけれども遠出の不要不急なドライブをしたりもする。「〜けれども」は勝手な解釈でしかなく、外出を控えるという根本的な行動は取れていないのだ。

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2021年8月18日 (水)

危機感が足りない

コテンラジオの教育シーズンの中で、「豊かになって暇になると色々考える人達が出てくる」という話が出てきて、(これは「暇」ではなく「余裕」と捉えるべきだとは思うが、)ふと、「危機感」というのも、この暇(余裕)の産物なのではないかと考えた。


そもそも危機「感」ということは、文字どおりの「危機」ではない。一目散に逃げ出すか死にものぐるいで立ち向かわなくてはならない「危機」ではなく、危機「感」とは、身も蓋もない言い方をすれば「想像」である。今後迫る、すでにあるけれども認知できない危機を「想像する」には、実は結構余裕が必要だ。なぜなら考えるまもなく目の前のタスクをこなしている時に、そんな事を想像している暇はないからだ。


つまり、危機感を持つには、それを想像する余裕が必要である。

でも、暇にしていると「危機感が足りない」と言われる。

だからといって暇なく忙しくしていると、それに精一杯になり危機を想像する事ができなくなる。


悪循環だ。というか、そもそも「危機感が足りない」という評価が矛盾している。厳しい見方だが「危機感が足りない」という経営者や上司は信用しない方が良いのかもしれない。


経営者や上司が危機を想像するのは、それが役割だからだ。その想像に基づいて先手を打つのが役割なのだから危機感を常に持つ必要がある。決して「部下に危機感を持たせるのが役割」なのではない。むしろ、危機を感じることなく乗り越えられるようにすることこそ理想だろう。


もっともこれは教育的な側面は排除した話ではある。過去危機というものを想像したことがない人間が、いきなりその立場に立たされても、危機を感じるようになるのは難しいだろう。つまり幹部教育といった事を考えれば、どうやって危機を想像する能力を鍛えるかという視点はある。


とはいえこれも、自分の想像した危機を丁寧に説明すれば済むという話だろう。それをきちんと糧にできる人間が幹部になれば良いのであって、スルーする人間は今のポジションのままで良いということだ。


危機感は意識として「持たせる」ものではない。

スキルとしてその感覚を「鍛える」ものなのだ。

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2021年8月17日 (火)

変化の覚悟

緊急事態宣言がまたも延長されるようで、なんというか緊急事態ではなくなってきた感じがある。


そもそも「緊急事態」という捉え方に問題があるのではないか。発令する側(政府)もそれを受け取る側(自治体)も、「一時的な措置」と思っているから「緊急事態」と宣言しているのではないかという気がする。


いや一時的なものだろう・・・といっている間は、おそらくどうやっても気の緩みは防げない。なぜならそれは「一時的な我慢」で、「耐えるもの」というニュアンスが含まれてしまっているからだ。我慢だから、長期間に渡れば耐えられなくなるのは当たり前だ。


いいかげん「元に戻るまでの我慢」ではなく、生活や社会構造のシフトが必要なのだと認めたらどうなのか。具体的な展望があるわけではないけれども、可逆性のある一時の我慢をずっと続けるのか、覚悟を決めて戻れない道に踏み出すのか、そこを定めるのがリーダーと呼ばれる人たちの役割だろう。


結局元に戻るのであれば、変化への投資は限られてしまう。無駄に終わってしまう可能性があるなら、切り詰めて我慢をするというのも選択肢の一つだからだ。だが、戻れないとなれば、本気で投資するしかない。後退のできない文字通りの背水の陣であれば、自ずと覚悟は違ってくるだろう。

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2021年8月16日 (月)

お盆の過ごし方

お盆休みも終了。休みと言っても土日を加えての三連休程度で、しかも雨が続いたので、特に何ということもなく終了した。オケの練習もスケジュールされていただが、緊急事態宣言で中止となっている。


そんな訳で、プライムビデオで時間を過ごす。


シン・エヴァンゲリオン劇場版

SP劇場版 野望篇

SP劇場版 革命篇


などを視聴した。Facebookの過去の思い出では、ドライブかサイクリングか大抵は出かけているのだが、まぁたまにはそんな感じの過ごし方でも良いだろう。


本当は、もう少し整えるために使う方が良いのだ。休日が平日の(仕事の)ためのものとは思わないが、その平日(の仕事)をより快適に過ごすための何かをしても良かった。ただ、何となく遅れを取り戻し混乱を立て直すために使う事になってしまいそうで、それもどうかと感じたので、特にそれらしいことはしていない。


楽器の練習も、音楽を聴いたことで久しぶりにテンションが上ったのだが、楽器を取り出すまでには至らなかった。本当はそのあたりは「整えたい」ところではある。オケのために「練習する」のではなく、純粋に「楽しむ」ために楽器を弾くという日常をどう組み立てるかは結構課題だ。


そんな事は考えつつも、結局ダラダラと過ごしたのだった。

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2021年8月12日 (木)

職住近接

今日も渋谷にて仕事。


実は暑い中の移動が面倒になり、渋谷にホテルをとっていた。火曜日の在宅勤務終了後に移動してチェックイン、昨日と今日はホテルから会社に通うという贅沢生活。基本的には会社とホテルを往復するだけで、ある意味人との接触は通常の通勤よりも少ない。お盆だからできる事ではあるが、ホテルでのワーキングならともかく、出勤のために使う人は少ないだろう。


いやでも楽である。職住近接というのはこういう事かという感じで、社会人になって以降東京在住で通勤に1時間程度をかけてきた身としては、なるほど地方在勤で職場と自宅が近いとこんな楽なのかと思ったりした。だからといって渋谷に住みたいとは思わないけれども。


今日が終われば三連休。特に予定はなく、家にこもりたいとは思わないが、出かけたいという気分でもない。さて、どうしたものかな。


(ひとまず今日の仕事が先だ。)

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2021年8月11日 (水)

経営者の発想

昨日は在宅だったが、今日明日は渋谷に出勤。お盆といっても特に有給を入れていないのは、打ち合わせが減る分、普段できないような作業ができないかと期待したからだ。作業であれば在宅の方が効率が良いが、今日明日は出社人数も少ないので、また自席にディスプレイを持ち込めるだろう。


業務効率は在宅の方が高い・・・というのは先日考えさせられたコラムにも書かれているが、「自己流優先」の日本以外では、在宅ではガンガン効率が高く回っているが、偶然の会話など新しい事が生まれにくいというのが課題感となって、出社を求めるといった事があるようだ。


Podcastで聴いた話だが、オフィスと在宅混合のビデオ会議では、環境が整った在卓組の発言率が高まり、オフィス側は環境不備で満足に会議参加できず、あっさり全員在宅に戻った・・・なんて例もあるらしい。出羽守ではないが、おそらく国内でもそうした事例はあるはずで、仕事のやり方はどんどん変わっていっている・・・自分の周り以外では。


先日ディスプレイは奮発したが、在宅環境を思い切り整える気にならないのは、そのあたりも影響している。トヨタなど、在宅での勤務をデファクトにしようとする動きは確かに国内にもあるが、自社が、というより自分のワークスタイルがどこまで在宅に向いているかが判断し難い。


少なくとも、在宅の方が作業効率が高いとは感じているが、それがトータルの生産性向上に繋がっているかは判断が難しい。これは海外の事例と同じで、新しい発想などが生まれたり実行したりは確かに難しいと感じているからだ。実際のところ、集中できているのは「既存の作業」ばかりという感覚はある。


もちろんこれは個人だけで何とかできるものではなく、むしろ本来は経営層に求められる発想だ。海外における課題意識は明らかに経営層の発想として語られている。そういった意味では作業者である我々が四の五の言っても始まらないのかもしれない。

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2021年8月10日 (火)

音楽を聴く

最近あまり音楽を聴いていない(実は)。


通勤(もあまりないが)などの移動時に聴くのはもっぱらPodcastになってしまっていて、Premium契約にしているYT Musicもほとんど活用できていない。Podcastの登録しているチャンネルが結構増えてきて、聴いても聴いても終わらないという事情もあるが、なんとなく音楽を集中して聴かない(聴けない?)状態に陥っている。


YT Musicはさておき(元々You TubeのPremium契約なので、音楽を聴いていなくてもメリットはある)、Podcastは少し整理して、音楽を聴く時間も作りたいという気分になってきた。クラシックも良いのだが、できれば幅を広げたい。


もっとも、Podcastはほぼ「ながら聞き」なのだが、ここでいう「音楽を聴きたい」というのは、もう少し本腰を入れての話なので、少し趣は異なる。そういった意味では、Podcastを置き換えるというよりは、なにか別の形で時間を確保しなければならない。


習慣化のポイントは、すでにある習慣の前に習慣化したい行動を挟み込むことなのだそうだ。Podcastが移動時の習慣であるなら、音楽はどのように習慣化するのが良いだろうか。


いやそこまで強迫的に考える必要はないんだけどね。

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2021年8月 6日 (金)

自己流の陥穽

とても考えさせられた。


世界中で日本だけ。4割の企業が「テレワークで生産性低下」の異常事態


以前考えた「クレジットのある仕事」にもつながるのだが、自分のやっている事に「一般的なワークとしての名前がつけられない」というのは、つまりここでいう「自己流」でやっているという事なのだ。役割が明確にならないというのも、そういう事だろう。


昨日職場の同僚にやる事を伝えてお願いしたのだが、結果は思ったとおりにやってもらえず、フォローの説明をする事になった。単純に自分の説明不足と理解したのだが、実際にはもっと根深いのだ。そのやる事が自分の自己流になっているから説明が必要であり、各自が自己流だからその相互理解に時間とコストがかかるのだ。


自己流というのは、単に「それが一番優れている」という思い込み以上に、「それが(自分にとって)一番ラク」という要素が含まれている。個別最適化の最たるものであろう。自分自身の仕事も、そうやって構成されている。


この自己流の陥穽から抜け出すにはどうしたら良いのだろうか。しかも組織ぐるみなのだから、自分ひとりだけ抜け出そうとしてもどうにもならない沼なのだ。

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2021年8月 5日 (木)

ディスプレイの配置

ディスプレイの位置を再セッティングした。


ギリギリに詰める形で横に並べたのだが・・・1日使ってみるとなにか違う。意外と2画面が使いづらいのだ。実質的にはほとんど使っていないに等しい。


何が以前(2画面をフル活用していた以前)と違うのかといえば、ディスプレイを横に並べていることだろう。以前は縦に並べていた。

(結果として手元にキーボードを置くスペースが無くなり、といってノートPCのキーボードの熱さに耐えられないので今の状態になったのだが。)


複数の画面を同時に表示させておく、というのと、複数の画面を見比べて作業する、というのでは、理想的な配置は異なるのだろう。なんというか、横に並んでいるのは視線の移動が辛い感じがして、ディスプレイをまたげない。その時の作業に関係はないが表示はさせておきたいような情報には向いているが、AB間で情報を見比べたいような場合には、横並びというのは向いていないのかもしれない。

(といっても、同じディスプレイの中であればそれほど苦にならない。結局解像度の違いとかサイズの違いの「切り替え」が、上下の場合と左右の場合で差があるのかもしれない。遠近両用も上下で使い分けるもので、左右でなんて聞いたことがないし。)


さて、そうなるとどうしたものか。ビデオ会議などのアングルは、見直しをした今の配置の方が良いだろうが、作業環境の改善につながるというものではないらしい。


結局は1画面内で比較できるようにウインドウのレイアウトを工夫するしかないのかもしれない。上下配置をするとなると机から変えなければいけなくなり、流石にそれはしんどすぎる。


その一方で前のディスプレイも接続して3画面体制なんて事も頭をよぎったりしたのだった。いや置ききれないし、使い道もないんだけどさ。

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2021年8月 4日 (水)

大画面だけでなく2画面

大画面があれば1画面でも大丈夫・・・というのは甘い考えだった。


昨日は夕方作業に入れたのだが、その中でやはり2画面があった方が良いという状況に遭遇した。大画面といっても複数の画面を並べるにはちょっと表示領域が狭い・・・という事らしい。ちょっとした情報であれば重なりをずらせば済むのだが、しっかり2画面(できれば+α)を比較しようと思うと、やはりディスプレイも並んでいる方がやりやすい。


加えてビデオ会議では、一応断って横向き(カメラはノートPC側にしかないので)で参加したのだが、正直落ちつかない。ある程度は相手の顔と自分の顔を正対できるようにした方が、画面越しであっても話しやすいのだ。不思議なものである。


という訳で、今朝は再びレイアウト変更。とはいえ、新しいディスプレイは基本机の上をほぼ使うサイズなので、そのままでは並べるのが難しい。可能な限りずらした上で、なんとかうまく並べる方法を考えなければ。

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2021年8月 3日 (火)

ディスプレイ購入

週末にディスプレイ(とキーボード)を購入していた。


在宅時にはすでにサブディスプレイを使用していたのだが、少し前から会社ノートPCのディスプレイは不要で、大画面一つでなんとかなるのではないかと感じるようになっていた。そもそも会社ノートPCは猛烈に熱くなるので、手元ではなく脇に置けるなら置きたい(もちろんキーボードは外付けする)。


一方在宅で使っていたディスプレイは、画面こそ大きいが、解像度は会社ノートPCよりも低く、画面に表示できる情報量が少ない。そのため2画面を使う運用にするのは避けられず、やむなしと思っていたのだが、もう諦めて投資することにしたのだ(緊急事態宣言は8月末まで延長となっているし)。


で、少々奮発して(会社ノートPCはそこそこ解像度があるので、それ以上の解像度になると結構選択肢がなかった)、27インチのディスプレイを購入。もう一回り大きなサイズだとギリギリ机にのらなそうだったからだ。


解像度を最大にすると、文字が小さくなりすぎるので、その手前で妥協したのだが、結果として画面内に複数のウインドウを開くことができるようになり、1画面であっても快適に作業ができるようになった。複数の画面を比較する事が多いからだ。


会社ノートPCは完全に脇において、解像度を下げて文字を見やすくする。ビデオ会議は横向きで参加することになるが、椅子の向きを変えて正面に向かうこともできる。


まだ使い始めて1日しか経っていないのだが、作業環境としてはなかなか快適である。


・・・快適であるのだが、昨日はほとんどオンラインミーティングで、実際に資料作成等で新しいディスプレイがパワーを発揮できる時間は少なかった。今日も結構ミーティングが多いので、どこまでディスプレイに向かえるかはやや微妙である。

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2021年8月 2日 (月)

裸族運用

XPERIAは代々ケースを使うことはなくて、背面に保護シールを貼る程度の裸族に近い使い方をしてきていたのだが、XPERIA 5については機種変更以降、ケースを装着して使うという事をしていた。理由はこれといってないのだが、まぁ何となくである。


それをやめて、背面シールだけにした。レンズは出っ張っている訳だし、実際には保護機能はないに等しい。もっとも、先日から財布兼用となったホルダーには入れているので、「使う時はほぼ裸族」というのが正しいだろう。


そうしてケースを外していると、改めて5のサイズ感が際立つ。比較するようにXZ Premiumも手にしているので、なおさらだ。特に幅については、XZ Premiumと比較するまでもなく、ケースが有るとなしではまるで持った時の感覚が異なる。


最初からほぼケース付きで使っていたため、実感として気付く事がなかったのだが、あらためてこれは良いかもしれない。まぁもう少し使ってみないと分からないけれども(何しろ在宅が多いのでそもそも外であまり使っていない)。


正直手にしているとスルッと落ちてしまいそうな感覚もあるのだが、そこはまぁ慣れの問題ではあるだろう。Plogのホルダー(ケースというよりはホルダーだろう)とあわせて、しばらくはこれで使ってみることにする。


ちなみにケースを外したのは、そうするとPlogのホルダーに5とXZ Premium双方が収まるという事情もあったりして、そこも利点だと感じている。

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