2007年7月 2日 (月)

非公開のプロフィール情報の活用

土曜日にiUGの第6回の研究会があった。
ここしばらくグループディスカッションに参加していなかったのだが、今回はどっぷりと参加。言葉は変だが「堪能」した。
社内ブログや社内SNSを使う立場でも運営する立場でもないが、やはりそういったテーマでディスカッションするのは楽しい。

盛り上がったのは、SNSのプロフィールについて、
・自分で登録する情報
・他人が評価する情報
・システムが解析する情報
というのを組み合わせることが出来ないか、というものだ。

事例紹介の中で、他人にタグ付けするという機能が紹介されて、それに触発されたのだが、自分ではいかんとも評価できない部分を多面的に評価するために、自分で登録する以外の情報を増やしていくアプローチはできないか、と考えた。

他人のタグ付けや投票による評価、コメントによる評価の他、さらにシステムが解析する情報として、過去の経歴やエントリーの内容、コメントや足あとなどを「活かす」ことが出来れば、その人自身をより正確に把握することができる。

ただし、それがすべて公開されては意味がない。ここでのプロフィールは、相手に知ってもらうという要素以上に、必要とされる人同士をマッチングするための元データという要素が強い。

例えばあるエントリーをしたときに、関連が深いと思われる人物を自動的にリンクする。
あるいは、Q&Aなどで、最適な回答者を見つけ出す。

ただし、こうしたプロフィール情報は、そういった際のデータには使われても、公開はされない。他人の評価や行動解析の結果まで公開されるというのは、さすがに抵抗感が強いと考えられるからだ。

こうした非公開レベルのプロフィールをバックグラウンドで活用するような仕組みが出てくると、SNSの最後のSを「サービス」ではなく、文字通り「システム」として成り立たせることができるのではないだろうか。

そういえば、ナレッジマネジメントの話をしていた頃に、こうした話題ってなかった気がする。技術的な問題が大きかったのだろうが、今であればそういったマッチングシステムを備えたKnowWhoシステムが出来ても良いような気がする。

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2007年1月25日 (木)

コミュニケーションの促進をどう測定するか

先日のiUGの研究会に参加した方のブログ(チミンモラスイ?)で、このようなことが書いてあった。

#社内情報共有とかアイデア創発のようなものは、なかなかうまくいかないケースが多いのだと思うのですが、もしかしたらまず目指すのはコミュニケーション促進というところにフォーカスするのも一手なのかもとか妄想してました。

確かにこういったアプローチはある。実際、自分の会社でのナレッジマネジメントのアプローチはそういった点を目的に据えていた。

・・・据えていたのだが、実はこれも意外と難しい。社内情報共有やアイデア創発以上に、その効果が見えにくく、測定できないのがコミュニケーションだろう。

やっかいなのは、情報共有やアイデア創発はある程度ボリューム(投稿数)を指標にできるが、コミュニケーションの場合、ボリューム=活発とは言い切れないことだ。これは各人が処理しきれる(満足できる)ボリュームにばらつきがあるために、必ずしも投稿が多い=コミュニケーションが活発とは評価されない側面があるからである。

またSNSやブログ、あるいは掲示板といったオンラインのツールは、人と人とのコミュニケーション全般を置き換えてしまうものではない。オンラインが活発になった分、オフラインが消沈しては、コミュニケーションの促進としては意味がない。

極端な話、参加者毎の満足度評価が重要になってくるのではないかと思うのだが、いずれにせよこの場合に重要なのは総体ではなくではなく個別に捉えていくことではないかと思う。

満足度評価のような一人一人のコミュニケーションの状況でも良いのだが、コミュニケーションにおけるステップ毎の評価でも良いだろう。例えば、それまで面識のない人との対話回数、仕事上無関係な人との対話回数といったものは指標になるかもしれない。

これを掲示板などでやろうとすると、かなり詳細なアクセス解析(そもそも個別の人間関係を知っていなければならない)が必要になる。ただ、SNSであればそういった面は掴みやすい。仕事上つながりのない「友達」の数や、やりとりの回数、相互のアクセス数などだ。
(仕事上つながりのある人とのコミュニケーションにおいて、SNS上でこういったコンタクトが増えることがプラスかどうかには議論の余地があるが、そうではないチャネルについては基本的にコミュニケーション促進という目的に対してはプラスに捉えて良いはずだ。)

もっとも、結局こういった話は、ある程度参加者のITリテラシーが高いという前提に基づいてはいる。コミュニケーションをオフラインベースで考える場合、ブログやSNSを活かしていくような方法にはどのようなものがあるだろうか。

これはちょっと思いつかない。自社でどうにもブレークスルーしないのは、多分この壁を乗り越える方法がないからだろう。

・・・今度「失敗事例」として紹介してみたりして(笑)

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2007年1月24日 (水)

一つのエントリーへの連続トラックバック

先日のiUGの研究会について、ぼちぼちトラックバックが付き始めているのだが、そのあたりを改めて書こうとしてハタと気付いた。

・・・同じエントリーに対して同じブログから次々トラックバックがあったら、ちょっと変かも・・・。

まぁこちらからの一方的なリンクにしてもよいのだが(今回はそうしておくが)、それでは相互リンクとしてのトラックバックの機能を生かし切れなくなる。個人的にはこちらからリンクをした場合、相手方にトラックバックをしておくことで、相互の情報(意見)交換につながる、という意識があるので、どうも一方向というのは気持ちが悪い。

イントラブログで、そういったトラックバックを活かそうとした場合、こういった問題に直面することはないだろうか。感覚として、同じエントリーに対して次々トラックバックをするのはちょっと抵抗があるのだが、「意見を交わす」「(ブログをきっかけとして)アイデアを生み出す」と考えた場合、そういったことはままあるだろう。

掲示板なども同様で、最初の投げかけに対し、特定の一人が返答もないのに次々とコメントを書いていたら、ちょっと違和感を感じてしまう気がする。「コメントは一人一回まで!」という感じだ。(もちろん、最初の投稿者から返事があった場合はそれに対する返事はできるが。)

こういった部分は技術ではなく文化の問題ではあるのだが、実際のリアルな会話ではままあることなので、ネットだから(恐らくは前のコメントやトラックバックが記録として残っているから)という事情がある感も否めない。

どうなのだろうか。自分はトラックバックやコメントをそれほどしているわけではないので、このように感じているのだが、すでにブロガーの世界では異なってきているのだろうか。一つのエントリーに次々トラックバックしたり、次々コメントしたりというのは、別に違和感はない行動なのだろうか。

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2007年1月22日 (月)

SNSをオフィシャルな情報と紐付ける

この週末にiUG研究会Vol.5があった。
とはいうものの、(個人的な作業の都合もあり)受付をしていたので、実は中身を聞いていない。グループディスカッションの結果発表をちょっと覗いただけだったりする。

で、内容については参加した人たちのブログなどを読みながら考えていこうと思っているのだが、それはさておき、グループディスカッション(テーマは「社内ブログ/SNS導入成功のためのDos & Don'ts」だった)の発表の中でちょっと気になったものがあった。

それは「これをするべし」の中にあった「継続的な自己紹介の発信」というものだ。(細かい表現は間違っているかも・・・。)

継続というのは、実はかなり難しい。ブログやSNSの日記にしても、実は続けることが一番大変なのだ。その内容が「自己紹介」となればなおさらである。経験上、これを続けていけるのはほんの一握りだが、一握りが続けているだけでは、SNSとして「人をつなぐ」特質を生かしきれない。

そこでふと思ったのだが、現在はどちらかといえばインフォーマルな位置づけにあるSNSに、フォーマルな情報を紐付けするのはどうだろう。所属組織、内線番号、メールアドレスといった情報をプロフィールとして取り込み、補助的な情報としてではなく、オフィシャルな情報のベース(組織図、内線簿、アドレス帳)として使うのだ。

そういった基本は揃えておき、あとは個人の自由で使う。基本的な情報だけである程度「人をつなぐ」機能が満たされてしまえば、それ以外は付帯情報になるが、こういった情報は「つながる」目的のためではなく「つながっている」実感により充実していくものだ。

ようするに「先に(オフィシャルな情報で)つなげてしまう」のである。そのつながりの維持拡大のために、個人による自己紹介が充実していくのではないか、というアプローチなのだが、どうだろうか。

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2007年1月18日 (木)

イントラブログの自動削除ルーチン

個人的にはどうでも良いことではあるのだが、イントラブログの導入・運用で良くいわれる問題に投稿のクオリティの問題がある。特にナレッジマネジメントのツールとして考えたときにそういった議論があるようだ。

以前にも書いたように、そもそもクオリティの高いエントリーは、クオリティの低いエントリーの量産の上に成り立つというのが自分の考え方なのだが、気になる人にはクオリティの低い記事ばかりが目についてしまうのだろう。

そこで、自動削除ルーチンによって、クオリティの低い記事を淘汰する仕組みというのを考えてみた。
基本的にはイントラブログということで、同じシステムを全員が使うということを前提にする。

そのブログには次のような機能をつける。

1.足あと
2.ソーシャルブックマーク
3.コメント
4.トラックバック

次のような条件をすべて満たした場合、削除されるという条件を付ける。(期間は適当。)

1.最後の足あとがついてから、3日以上足あとがついていない
2.ブックマークがない状態が、1週間以上続いている(ブックマークは、それぞれ1ヶ月で自動的に削除される)
3.コメントがない状態が、1ヶ月以上続いている(コメントは「次のコメントが1ヶ月以上つかなかったら」自動的に削除される)
4.トラックバックがない状態が、3ヶ月以上続いている(トラックバックされているエントリーが消えた場合、トラックバック情報も自動的に削除される)
5.相互トラックバックは禁止

これは、「参照されている」「コメントがある」「トラックバックがある」ものほどクオリティが高い、という前提に基づいている。
詳しくロジックは検証していないのだが、こういったルーチンにすることで、最終的に「参照されていない」「コメントされていない」「トラックバックがない」エントリーから順次消えていくことになるはずだ。

さらにそういったものが継続的になければ、やはり最終的には消えていく。それにより無限に増殖していけるような質の高いコンテンツだけが残ることになる。

足あととブックマークは公開し、どういったエントリーが注目を集めているかというアテンションにする。足あとは累積的なアテンションの高さ、ブックマークは短期的なアテンションの高さの指標になる。

・・・とまぁ、理屈の上ではこういった仕組みで、長く参照されるエントリー=クオリティの高いエントリーを生み出していこうという仕掛けなのだが、恐らく冒頭のような意見をいう人の多くはこういったルーチンに抵抗を示すのではないだろうか。

それは「削除」への抵抗感があるからだ。

変な話だが、実はクオリティの低い記事への嘆きというのは、削除できないという自縄自縛から生まれている気がする。クオリティが低いと思うなら削除してしまえばよいのではないか。

そういった割り切りというか、思い切りがなければクオリティを上げるということはできないのではないかと思うのだ。

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2006年12月28日 (木)

ブログやSNSを第二のタバコ部屋にして良いのか?

自分自身の昨日のエントリの異を唱えるようで恐縮なのだが、ブログやSNSがタバコ部屋に近い機能を持つことは承知しつつ、本当にその方向で進めてよいのかという疑問が実はある。

ただこれはタバコ部屋の持つ「リラックスした場での他愛のない雑談からアイデアを拾い上げる」という性格を否定する話ではない。気になるのは、タバコ部屋にはもう一つの性格として「仲間意識と排他性」が潜んでいるのではないかという点だ。

なぜタバコ部屋ではリラックスして自由な雑談ができるのか。

それは単に空間の力だけではなく、その場に居る人たちの関係が大きく関わってくる。タバコを吸わない人間が突然タバコ部屋に行って、同じように雑談ができるか?タバコは吸うけれども、普段会話したことのない相手が先に居た場合、どれだけ雑談ができるか?

そこにはお互いの人間関係が大きく関わっている。

以前、弱い絆に必要なものや、弱い絆を維持することはできるのかに書いたように、互いの関係が強い絆になったから意見を交換しあうというのでは、リアルなコミュニケーションと変わらない。ネットにはネットのコミュニケーションリテラシーがあって、両者が上手に組み合わさってこそ次のステージに進めると思うのだが、そこで同じような「人間関係」を前提としていたら、先には進めないのではないだろうか。

ついついこういうことを考えてしまうのは、このブログの前身である「ごろうのつぶやき」が、元々社内へのメール配信を前提としていたものから、徐々にその関係が「うっとうしくなってしまい」ブログへシフトし、さらにそれも断ち切るためにブログ自体新しくしたという、自分自身の経験に基づくのかもしれない。

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2006年12月27日 (水)

フィードバックの連鎖を生むために

光栄なことに、同じエントリに二つもトラックバックをもらってしまった。

宝(成功)を生み出すためには一定数のクズ(失敗)も必要なはず
SNSはフィードバックの社会

どちらも「質を上げるためには、一方でそれに数倍する「クオリティの低い」記事の量産も容認する必要がある。」という部分に賛同をいただいたものだ。

実はこれは自分自身がブログを書いて得た実感でもあるのだが、もともとは「アイデアマラソン」の考え方を踏襲したものだ。ブログではなく社内のアイデア掲示板に「使える」アイデアが出てこないことを嘆く人に対し、そもそもそう簡単に「良いアイデア」は出てくるものではない、という説明として使っていた理屈である。

宝(成功)を生み出すためには一定数のクズ(失敗)も必要なはずで書かれているように、タバコ部屋や飲み会の雑談と同じなのだ。違うのは、良いアイデアを拾い上げられる人の数とタイミング面で有利な一方で、そうではないアイデアも同様に記録としては残っているので、正反対の印象を生み出してしまうことだ。

ついでにいえば、リアルなコミュニケーションの場でのやりとりと違って、フィードバックが必ずしもあるとは限らない。「良いアイデア」だと思った人がいても、タバコ部屋ならその反応を見ることができるが、ブログや掲示板では必ずしもその反応が出てこないため、それが実は良いアイデアであったことが必ずしも周囲に(本人も含めて)伝わらないのだ。

そういった意味で、SNSはフィードバックの社会で書かれているようなフィードバックの連鎖はきわめて重要である。ただ、トラックバックはともかく、コメントはなかなか連鎖までは生み出しにくい。

そこで、インターネットでは不可能だとは思うのだが、同じプラットフォームを使うイントラネットのブログならではの機能としてぜひ欲しいのが、コメントを投稿者単位で管理・閲覧できる機能だ。その人のブログのトップから、ブログのエントリーだけでなく、他のブログへのコメントも見られるようにして欲しい。

コメント機能をなくして、すべてトラックバックでフィードバックするという方法もあるが、コメントならではのインターフェースも捨てがたい。一方で、キラリと光るコメントを見たときに、同じ人が他にどのようなコメントをしているのかを追いかけられるようにすれば、さらに思わぬフィードバックの連鎖を生み出せるのではないだろうか。

すでにインターネットのブログでも実装されていたらごめんなさい。

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2006年11月30日 (木)

ブログはどこまで「再利用」が可能なメディアか

昨日の延長のようになってしまうが、ブログにエントリーされた内容はそもそもどこまで再利用が可能だろうか。そもそも再利用を視野に入れるべきだろうか。そんな疑問がある。

最初から再利用を視野に入れた「日記」を書くと仮定しよう。実はその場合、別にブログのように時系列に書く必要はない。時系列に並んでいないものを日記と呼ぶかどうかという問題はあるが、再利用と整理を前提にしたドキュメントであっても「どこから手をつけるか」はカテゴリや順番にこだわる必要はない。マインドマップのようにキーワードでつながっていくようなインタフェースの方がむしろ書きやすいはずだ。
(そういえば、「関心空間」はそういったイメージではなかっただろうか。)

一方再利用を視野に入れない「日記」を書くのだとすればどうか。自分自身の備忘録という使い方は再利用を視野に入れた使い方だから、こちらには分類されない。あくまで自分の意見を周囲に公開するという、コミュニケーションのためのツールとしての日記になる。これは、「会って会話をし、自分の主張を伝える」ということに近い。

会って話をするのであれば、同じことを何度でも言うことがある。前の発言はその時「思い出せば」言及することもあるが、忘れてしまっても別にたいしたことではない。「同じこと言っているな~」と受け取られるかもしれないが、主張を伝えるというのは元来そういうものだ。

「再利用」は基本的に繰り返しを避けるための手段だが、「主張」はむしろ繰り返してこそ意味があるのだ。どちらのツールとして使いたいかで、性格はまったく変わってくることになる。

実はブログの場合、記録される永続性と、従来の紙の日記との類似性に囚われてしまっていて、その部分が上手に切り分けられていないということはないだろうか。

あえて言えば、「再利用」を考えた情報発信や蓄積を行う場合、ブログの利用はナンセンスである。Wikiなどをベースに時系列にも把握できるような機能をオマケでつけておけば良いはずだ。

もっとも、そうは言いつつ、記録が残っている場で同じことを言い続けるというのは心理的には抵抗があったりする(笑)。そのあたりはちょっと微妙な話ではある。

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2006年10月25日 (水)

ブログの中で自分を何と呼ぶか

ブログの中で自分を何と呼ぶかは少々迷う。文体もそうだ。

文体については、このENIGMA以外にCSR日記というブログも書いているのだが、そちらでは「ですます」調になっている。これは元々社内向けの勝手メルマガとして書いているため、多少読み手への語りかけを意識しているからだ。

対して、このENIGMAでは独り言を強調する意味もあって、ですます調では書いていない。以前(これまた別のブログで)書いていたときに、語りかけを意識していない内容にも関わらずですます調を使ったことで、なんだか上からものを言っているような感じになってしまったからだ。

こういった文体は個性ともつながってくるので、社内ブログのような場で書く場合は、少し慎重に考えた方がよいかもしれない。

そして、もう一つ迷うのが「自分」の呼称である。意識して使わないようにしているのだが、やはり時々は使いたくなる。特に何かについて自分自身の考えを書きたいときだが、その時に何を使ったらよいのか、非常に迷う。
(使わない理由は、自分を呼んでしまうと独り言ではなく相手を意識した内容になってしまうからだ。)

「僕」か「私」か・・・なんとなく「自分」が文体とはマッチしている気がするのだが、自分自身のキャラクターとはマッチしていないような気がしなくもない。

ま、でも「自分は」としておくのが一番無難なんだろうな・・・。

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2006年10月16日 (月)

ワークショップ

土曜日にiUGの事務局でワークショップを行った。
http://iug.typepad.jp/blog/2006/10/post_55c1.html

で、例によって(笑)別のインスピレーションを受けてしまったのだが、とりあえずは参加していた事務局メンバーに提示してからブログに書くことにしよう。

こういった、ディスカッションの本筋とは別の発想が生まれることは意外と良くある。もちろん内容自体はディスカッションに関係のあることなのだが、微妙にずれているのでその場では話す機会がなかったりする。

ブログというのは、そういった思いつきをとりあえず記録しているには都合が良い。良いのだが、一方で「なぜその場で話さなかったのか」というしこりが残りやすい。その場で提示していれば、さらに新しい発想が生まれたかもしれないからだ。

もっとも、一方でその段階ではまだ芽の状態だから、他者に提示するにはもう少し熟成をへなければいけない、ということもままある。とりあえずその場は自分のメモに残し、あとからゆっくり考えるということは、決して珍しいことではない。

まぁそれはともかくとして、土曜日は結構疲れた。久しぶりに普段の仕事では使っていない頭を使ったような気がする。ナレッジマネジメントのプロジェクトの立ち上げ期はそんな感じだったのだが、そういえば今のCSRの仕事ではあまりそういったプロセスがなかったかもしれない。

本当はそういった時間も必要なのだろう。

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