2015年4月14日 (火)

やらないことリスト

「やることリスト」より「やらないことリスト」の方が大事というのは、直感的には分かるのだが・・・。

「やることリスト」の逆、「やらないことリスト」の重要性
http://gigazine.net/news/20150412-forget-to-do-list/

やらないことリストって作るのも大変だけどそれを見える形で保持していく事も大変な気がする。やることリストは減っていくけど、やらないことリストは増えていくからなぁ。 / “「やることリスト」の逆、「やらないことリスト」の重要性 - G…” htn.to/RLp3Vj
送信 4月13日 19:02 From Hatena

やることリストは、基本的にそれをやる事によって減っていくので、それ自体がモチベーションになるし、その数を一定に保って増やしすぎないという抑止力も働くのだが、やらないことリストは要するにその逆になる。つまり、基本的には増える一方で減らす方向のインセンティブが働かない。

これはある意味リストとしては致命的である。項目が増えれば管理ができなくなるし、そもそも気が滅入る。長大なリストが精神的にマイナスに働くのは、それがやることだろうがやらないことだろうが一緒であろう。

効果的な「やらないことリスト」というのはどういうものだろうか。やるやらないの判断基準の原則を設けて、やることリストを作成する際に、無意識に加えてしまう「やらなくてもよいこと」を排除するといったやり方もあるが、それはやらないことリストとはちょっと違う。

そもそもタスク管理の原則は、やることをすべて書き出した上で、一旦忘れて一つに集中する事である。忘れてもよい状態を作り出す事で、物事に集中する心構えを作ると考えた場合、やらないことがリストとして存在するのは、逆方向に働きかねない。

そのように考えると、理屈としてやらないことリストの重要性はなんとなく分かりつつ、実際にそれはどのように作れば良いだろうかと迷ってしまうのだ。

やらないことを決めるというのは、それはやらないということを決めるということをやるという事でもある。そのように考えると、やることリストの中に、やらないというフラグを持つというあたりが、妥当な落とし所なのかもしれない。

あるいは、やることリストの中に、やめることとしてやることを追加するような感じだろうか。やらないことリストは難しくても、やめることリストなら、やることリストと同じように管理できるかもしれない。

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2014年3月14日 (金)

目的とねらい

昨日このようなTweetをした。

恥ずかしながら目的と狙いの違いが未だもってよく分からない。言葉の定義とかの問題ではなく、肌感覚とか腹落ち感として。
送信 3月13日 20:20 From HootSuite

特に両者を分けて記述してしまった時の曖昧感は半端ない気がする。あまりストンとくる書きわけにはお目にかかった事がない。
送信 3月13日 20:27 From HootSuite

多分「目的」を直接的な結果、「狙い」を副次的間接的な効果とした場合に、後者を「明示的に記述する」という行為が、前者への意識上のシフトを招いてしまっているのだろう。結果や効果において、両者には差がないからだ(差があるのは行動との結びつき度合い)。
送信 3月13日 20:32 From HootSuite

本来の意味に立ち返ってみる。大辞林ではこうなっている。

もく てき 0【目的】
①実現しよう,到達しようとして目指す事柄。めあて。「━を達成する」「━をとげる」「本来の━にかなっていない」
②〘哲〙行為において目指すもの。それのために,またそれに向けて行為が行われ,実現が求められるもの。⇔手段。→目標(補説欄)
大辞林 第三版

ねらい ねらひ 0【狙い】
①(弓や銃で)ねらうこと。「━をつけて矢を放つ」「━を定める」
②ねらった目標。意図。「━はいいが実現は難しい」
大辞林 第三版

ついでに目標はこんな感じ。

もく ひょう —へう 0【目標】
①そこまで行こう,なしとげようとして設けた目当て。「年内完成を━にする」「━を掲げる」
②射撃などの,的。「━に命中する」
③目じるし。「車上にて弗と目につきしは両替屋の━なり/千山万水乙羽」〔類義の語に「目的」があるが,「目的」はその実現に向けて行為が行われる事柄(対象)の意を表す。それに対して「目標」はそこまで到達しようと定めたところの意を表す〕
大辞林 第三版

こうして改めて比較してみると、

目的:達成、実現すべき成果、結果
ねらい:その成果を得るべき理由

ぐらいに捉えた方が良いような気がしてきた。記述するならこのように書き分ける事になる。

目的:(その行動により)達成すべきこと
ねらい:達成すべき理由(達成により得られること)

このように考えると、副次的・関節的な効果なんかよりずっと書き分けやすい。

例えば何らかの発表をする際に、その目的とねらいは何かを整理しようとした場合、

目的:その発表により何を伝えたいのか
ねらい:伝えることにより何を得たいのか

となる。

しかしこうなると、目的よりもねらいが先ということになるな。目的があってねらいがあるのではなく、ねらいがあってそのために目的を設定するという感じだ。記述としては目的が先だが、思考としてはねらいが先という訳だ。なるほどそれを記述順に考えていたら、しっくりくる訳がない。

組み立てとしてはまずねらいは何かを考え、そのために達成すべき目的を考えるという順番だが、それをアウトプットする際には、まず何を達成するかの目的を伝え、次にその理由としてねらいを伝える方が良いということだろう。

それにしても今頃こんな整理をしているなんて本当に恥ずかしいな。

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2014年1月22日 (水)

GTDを考える

まず、マスターInBoxに情報を集める(アサインされたタスクや思いついた事など)。

InBoxに集められた情報を以下の尺度で振り分ける。
・特に行動を起こす必要がない ⇒ 保管用に整理するか、廃棄する
・行動を起こすべきタスクがある ⇒ プロジェクトノートを作成する

プロジェクトノートにはまず以下までを記載する。
・行動のゴール(期日、成果物)
・次にとるべき行動(自分の手を動かす物理的な行動)

その上で、(そのタスクについて考えることを)一旦忘れる。その時にやることに集中するため、情報の振り分けが終わってから、それぞれのプロジェクトノートを読み返し、行動に着手するようにする。(次にとるべき行動を書いておくのはそのため。)

プロジェクトノートのゴールを達成したら、保管用に整理する。

【プロジェクトノートを整理する】
プロジェクトノートが増えてきたら、進捗状況や優先度を把握するため分類・整理を行う。
(基本的には日次、週次で定期的に行う事で、都度の時間を短縮できるようになる。)

進捗状況を把握するためには、状態で分類する。
・着手中・・・自分がやらなければ進まない
・返事待ち・・・誰かに投げてリターン待ち
・時期待ち・・・スタートの時期が決まっている
・いつかやる・・・時期などは特にない
など。現在自分が着手すべきプロジェクトは何かを明確にする。

分類は形にはこだわらず、自分のやりやすいようにする。が、何を把握するための分類で、それが行動につながるかは明確にする。

着手中のプロジェクトが増えて手をつけるべきタスクが分からなくなってきたら、優先度が分かるように分類を細分化する。
・緊急かつ影響が大きい・・・直近で行う事として処理日毎に分類する
・緊急ではないが影響が大きい
・緊急だが影響は小さい
・緊急ではなく影響も小さい

処理日ごとの分類については、曜日単位として着手日毎に分類する。行動に結びつけることが目的なので、締切で分類してもアクションにつながらない。締切はプロジェクトノートのタイトルにいれておいた方が良い。

こうした分類により、「今日やること」「明日やること」「今週やること」などが明確になる。

【メンテナンス】
日次のレビューでは以下のような事を行う。
・InBoxのチェックとプロジェクトノートの作成
・今日行ったタスクのプロジェクトノートのチェック(やるべき事の追記と分類の振り分け)
・返事待ちなどのプロジェクトノートのチェック(次にとるべきアクションが生まれているか)
・その他必要であれば明日以降やることについてのプロジェクトノートのチェック

週次のレビューでは以下のような事を行う。
・時期待ちとなっているプロジェクトノートのチェック(来週着手すべきか)
・いつかやるになっているプロジェクトノートのチェック(まだ先送りするか)
・プロジェクトノートの分類の見直し(作業量の割り振りが妥当かなど)

ちょっと整理してみた。

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2013年9月 9日 (月)

会議の段取りと仕切り

自分自身の目下の課題の一つが、事務局として会議の段取りと仕切りをいかにうまくやるか、という事なのだが、そもそもあまり会議自体に参加の経験がないので、「上手な段取りと仕切り」というものの実感がわかないという問題がある。

それだけでなく、事務局と参加者とでは、全然立場や(会議の)捉え方が違うというのもあるだろう。参加者としてその会議に貢献する心構えと、事務局としてその会議に貢献する心構えは違うような気がするのだが、後者について自分の中で整理ができていないのだ。

一番実感としてついていけていないのは、「参加者をその気にさせる」という姿勢だ。参加側から考えた時に、事務局にその気にさせてもらわなければならないような参加者はそもそも会議にいらないんじゃないか的な感覚があり、事務局としてそうしたやる気を仕切っていくような感覚が持てない。しかし一方で、事務局として参加してほしい参加者が常に参加意識を持っているとは限らないというのも理屈としては分かる話で、言葉は悪いがなだめすかしてでもその気にさせるという姿勢も分からなくはない。

もっとも、それ以前にそもそも自分はその会議の意義目的をまだ良く理解していないのかもしれない。なんとなく前任者から引き継いだだけで、どのような位置づけで何をしていく会議で、参加者に何が求められ、事務局として何が必要かという事を突き詰めないままに、ただ「上手な段取りと仕切り」をしようとしているのではないか。

・・・と、このエントリーを書きながら思いついた。もちろん目的などは聞かされているのだが、与えられたもので自分のものになっていないと考えると、今の状態がしっくりくる気がする。

そもそも上手に段取りと仕切りをする、という発想自体、会議の目的とはかけ離れたところに目標を置いている気がしなくもない。

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2013年7月18日 (木)

計画ではなく記録としてのタスクリスト

やったことリストというのは良いかもしれない。

あなたのやっていることは本当に生産的? 自分自身につきがちな4つの嘘(と、それをやめる方法) : ライフハッカー[日本版] www.lifehacker.jp
http://www.lifehacker.jp/a/2013/07/130716four_lies.html

昨日平河町ライブラリーで、今後の仕事の管理をどのように進めていくかという事を考えて悶々としていたのだが、今朝になってこのようなヒントを見つけた。

タスク管理というとついつい「これからやること」をいかに細かく効率的に管理するかを考えてしまう。仕事を細かい単位に細分化し、集中的にこなすというのはよく言われる進め方だし、小さな達成感を積み重ねるというのも、仕事術としてはセオリーだろう。

ただ、以前からこのブログで書いているように、自分自身の仕事のスタイルにはイマイチ当てはまらないというか、あまり上手くいった試しがない。

そこで(大枠での目標や方向性は掲げるにしても)計画にはあまりこだわらず、毎日やった事の記録を積み重ねてみる。事前に作ったチェックリストをチェックしていくのでは無く、チェック済みのチェックリストを作るような感じだろうか。

そもそもはっきりと手順や進め方が決まっていない仕事に対して、事前にチェックリストを作るのは労力が大きすぎる。チェックリスト通りに進めば遂行できると決まっている訳でもない。元々手探りで進める要素の大きい仕事なのだから、やることの計画ではなく、やったことの検証としてのリスト作成の方が効果的かもしれない。

もちろん、備忘録やリマインダーとしての「事前のタスクリスト」は必要だろう。でもそれは「仕事の計画」ではないと割り切ってしまえば、思いつきをそのまま断片的に登録しておいて問題ない。その段階で計画化してきちんとしたリストを作ろうとするから断念してしまうのだ。

あとは「やったことリスト」をどのように作成していくかだが、カレンダーに登録する形で「やったことスケジュール」を作成するようにすると良いのかもしれない。どこまで細かくするかは試行錯誤が必要だろうが、時間の使い方も含めて検証が可能になる。

ふむ、アイデアとしては良さげな気がしてきた。しばらくはこのやり方で進めてみよう。もちいろん、節目となるタイミングは決めておかないと、ズルズル後回しになりかねないので、そこは注意が必要だが・・・。

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2013年7月12日 (金)

引き継ぎと仕事の可視化

異動の話があってから約1ヶ月半(こうやって書くと意外と長いな)、今日が今の部署での最終日となった。

その間、今の仕事の後任者への引き継ぎ、次の仕事の前任者からの引き継ぎをしてきたのだが、ルーチンではない仕事の引き継ぎというのは難しい。どんなに資料を作って話しても、足りない部分はある。引き継ぎは分身を作るためのものではないし、そもそもこうした仕事において担当者が変わるというのは、やり方も含めた変化が求められているという事でもあるのだ。

とりあえずやらなければいけない事はある。だが、求められているのはそれをこなす事ではない。もちろんそれはそれで押さえておかなければいけないが、求められているのはその先の事だ。そしてそれは自分で見つけ出すしかない。

とはいえ、今回引き継ぎというものを経験して(実はこれまでは前任もしくは後任と一緒に仕事をしながら委譲のような形で引き継ぐやり方ばかりで、今回のようなスッパリ入れ替わるような引き継ぎは初めてだったのだ)、そもそも普段の仕事の中で意識しておかなければいけない事があるのだということを改めて感じた。

それは仕事の記録とその可視化だ。

そんなの当たり前だと言われてしまうだろうが、今回改めてそれが出来ていなかった事を痛感した。よく「人に仕事が付いている」といわれる仕事のやり方があるが、まさにその典型といえるだろう。

「人に仕事が付いている」状態というのは、その人しかできないということもあるが、それよりも「その人の仕事のプロセスが記録として残っておらず周囲から見えない状態」なのだと思う。逆に言えば、どんなに属人的に仕事をしていても、その記録があれば良いとも言える。

何故なら後任者はそれを参考に自分の仕事を組み立てる事が出来るからだ。

マニュアル化、ルーチン化されない企画系の仕事というのは、実はそういう意識を普段から持って仕事を進めることが必要なのではないかという気がする。これは報連相とも少し違う。上司はその人の仕事を把握はしていても、引き継ぐわけではないし、後任者として大切なのはむしろその報連相に至ったプロセスだからだ。(もちろん報連相の記録は記録として大切だが、それは上司でも残しておけるものだ。)

引き継ぎ資料は、そのプロセスがごっそり抜け落ちるような気がした。だから直接話しながら引き継ぎも行うわけだが、それにしても限界はある。

今回自分からの引き継ぎとしては、整理した資料とは別に、メールボックスのアーカイブをそのまま資料として残すことにしている(もちろん不要な情報はカットする)。普段のやり取りというプロセスが残っている資料がそれしかなかったからだ。

だが、次も同じやり方ができるとは限らない。そもそもメールでのやり取りだけが仕事ではないから、そうした部分も記録し可視化していくためには、他にも工夫が必要になるだろう。そしてそれらを「引き継ぎ時」だけでなく、普段から行うことで、本当に万が一自分に何かあった時にも、継承してもらえるようにしておくことができる。

そんな事を改めて考えた引き継ぎだったのだった。
さてさて、今回の引き継ぎが上手くいったかどうかは、しばらく待たなければならない。

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2012年11月 1日 (木)

積み上げ型タスク管理

昨日は休みをとったということで、ほぼ1日平河町ライブラリーで過ごす。主にオケ周りの事務処理などを諸々済ませたりしたのだが・・・

・・・何だか「やった感」がない。むしろ感覚としては「1日何やってたんだ?」「何もしてない?」という感じだろうか。

少し思い出してみる。

・ブログを書く
・本「世界を変える偉大なNPOの条件」を(1章だけ)読む
・オケ絡みの書類を整理する
・オケの会報の原稿を書く
・一昨日のセミナーのレポートを書く←仕事するな
・セミナーで知り合った人をFacebookで探して友達申請する
・定期演奏会の実施要綱の内容をチェックする
・本を読む(タイトル忘れた)←忘れるな
・業務の棚卸し表を確認する←仕事するな
・チェロパートの注意事項をまとめる(途中までだった・・・)

・・・まったく何もやっていないという事はなさそうだ。だが何だろうか、この「やった感」のなさは。特に昨日は、この後府中に寄って練習をして帰ったのだが、その帰り道で「ああ今日もダラダラ何もせずに過ごしてしまった。練習はしたけどね・・・」とか考えていたような気がする。何というか、達成感のようなものを感じていないのだ(達成していないけどね)。

そうやって考えると、自分の場合「やった事」が時間として記録されている事が達成感につながるのかもしれない。一時期、緊急的にGoogleカレンダーにタスクを予定として登録していたのだが、確かにあの時は、1日が終わると自分なりにやった感が漂っていた。

ちなみに昨日のGoogleカレンダーは、練習の予定以外は空っぽである。

あまり関心を払ってこなかったのだが、そう考えると自分のモチベーションは、予定を埋めておいた上で、終わった時にそれがやった事として残るようなタスク管理をした場合に高まる傾向がある可能性が高い。そしてそうだとすると、例えば今使っているToodledoのようなタスク管理ではイマイチ気分が盛り上がらない理由も浮かび上がってくる。

Toodledoに限らず、一般的なタスクリストは「消す」事で成り立っている。ずらっと並んだ「やる事」を一つひとつクリアし、それがなくなっていく事に達成感を感じる人たちに最適化されたやり方とも言えるだろう。

これはつまり自分の場合逆効果という事になる。「なくなっていく」事ではなく「積み上がっていく」事に達成感を感じる傾向があるという事だからだ。
(そういえば何となくズルズルとリスト上に残っているタスクが・・・。)

・・・これは盲点だったかもしれない・・・今更ながら。

そう考えると、タスク管理のやり方をガラリと変えた方が良いのかもしれない。
以前Googleカレンダーを一時的に使った時には、短期的には良いが、目先のやる事にとらわれて長期的なタスクが抜け落ちがちになるという反省を書いた。これをクリアする仕組みを何か考えた上で、スケジューラ上でタスクを管理し、それが時間枠と共に記録として残っていくやり方を考えた方が良さそうな気がする。

という訳で、今日の夜は平河町ライブラリーに行ってその辺りを考える事にしよう。そしてそれをきちんと予定タスクとしてGoogleカレンダーに書いておこう。

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2012年8月24日 (金)

話を整理するために

うーん、こういうのを小さい時からトレーニングとしてやるのか・・・。

物事を論じられるようになるスモール・ステップス→米国の小学生が使う思考ツール 読書猿
http://readingmonkey.blog45.fc2.com/blog-entry-617.html

無論ある程度年齢を経ればこうした論法は使えるようになるものだとは思うのだが、こうしてメソッドとして身につけたのと、何となく身につけたのとでは大きく違う。特にこのスタイルから発展させた時のベースラインが全然違ってくるはずだ。

もしかしたら、相手の意見を聞く時にも、このように整理をしていくと良いのかもしれない。

ちょうど会社で今後の計画を立案するためのヒアリングを各チームに行っているのだが、どうもうまくまとまらないのは、互いにこうしたベースがなく、話がいつまでたっても整理されない事が原因の気がしてきた。

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2012年7月12日 (木)

タスク管理をどう行うか

ここしばらく掛かりきりになっていた計画資料の作成がほぼ一段落。こういうのは嫌いではないのだが、やはり少々時間をかけすぎているかな~という気がする。会社的にはかなり優先順位の高い資料で、他を後回しにしてでも取り組まなければならないものだったのだが、後回しにしていた他の仕事のツケが怖い。

実際、Toodledoのホットリストには、押しのけられて予定していた期日をすぎてしまったタスクがずらりと並んでいる。デッドライン的な期日設定はしていない(完全にデッドラインにしてしまうと、本当に取り返しがつかなくなるまでリストにあがってこなくなってしまうからだ)とはいえ、この状態はじわじわとストレスになる。

「あれが終わってない」「これも終わってない」「どれも終わってない」という事を常に突きつけられる状態だからだ。

どうもこのタスクリストによるタスク管理のやり方は自分にとってイマイチな気がしなくもない。とりあえずリストはできているのだが、実際には進まない事が多いのだ。

もちろん、忘れるとか抜け落ちるという事は少なくなったと思う。そういった意味でまったく無意味とは思わないのだが、仕事の推進力になっているかというと、やや疑問が残る。何だろう、やらなければならない事として意識にはある一方で、そのための時間がブロックされないのだ。

それでは、進みようがない。

以前何かで見かけた、カレンダーで一元管理する方法に切り替えてみても良いのかもしれない。カレンダーそのものがごちゃごちゃして見にくくなる(以前一度試そうとした事があるのだが、登録している間にうんざりしてやめてしまったので実際には運用には至っていない)のだが、自分の時間の使い方をきちんと把握する意味でも、一度そのようにやってみても良いかもしれない。

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2012年6月18日 (月)

プレゼンテーションとは想いを伝えることではない

先週に続いて土日の予定が詰まってしまい、今日は身体が回復していない・・・いつものことだけど。

それはさておき、土曜日はオレイユの練習前にセミナー(フォーラム?)に参加してきた。
NPOに白書の作成、ブログでの情報発信を勧めるもので、そういった意味ではやや畑違いだったのだが、とても興味深く、参考になる内容だった。
(まぁIIHOEの川北秀人さんが講演する、というだけで、すでに参考にならないわけがないのだが。)

個人的に印象に残ったのは、「提案とは相手の良い判断への協力、貢献」であるという話だろうか。スピーチは想いを伝えるものだが、プレゼンテーションは相手に判断をしてもらうものだから、想いを伝えても仕方がないという話だ。(やや個人的解釈が入っている・・・かな?)

プレゼンテーションで相手が変わらなかった理由は、「想いが伝わらなかった」からではなく「相手の判断の参考にならなかった」からだという捉え方は、肝に命じておく必要があるだろう。実際振り返ってみると、想いが伝わってくるプレゼンテーションというのはよくあるが、その想いが判断に影響を与えているケースは少ない気がする。それはつまりスピーチだったということだ。

プレゼンテーションというのはシビアだ・・・。

この話を聞いて最初に考えたのは、ちょうどオケで選曲の提案を受け付けているところだったので、ああなるほど、今自分に寄せられているのは、想いではあるけれども提案ではないんだな、というある種みもふたもない感想だ。

もちろんそれを否定する話ではなく、そもそもそうした想いを聞いて提案に仕上げるのは自分の仕事ではあるのだが、プログラムを「提案する」というのは、単にやりたい曲を挙げるというものではなく、それを受けた人に「なるほどそうしよう」と思わせて初めて意味があるのは間違いない。

そしてもう一つ思ったのは、ちょうど原発の再稼働が決まった事もあり、それに反対していた脱原発派の人たちがやっていたのは、スピーチだったんだろうか、プレゼンテーションだったんだろうか、という事だろうか。

スピーチは楽しい。自分の想いをぶつけるだけだから。変わるかどうかは相手の責任で、自分は関係ない。

しかし、プレゼンテーションは、相手の判断の責任の一端を担うという事でもある。そのためには、時に自分の意見を曲げてでも、相手が判断するために最も適した材料を提供する覚悟が必要なのだろう。

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