2018年6月20日 (水)

とりとめない話

昨日は3月にやったアンサンブルの打ち上げが(今頃)あって、少々飲み過ぎたために頭が重いのだが、そうした翌日の状況は別にしても普段聞けないような話が多々出た楽しい会だった。

オケ以外のバックグラウンドに踏み込む事はあまりないのだが、アマオケは多様で多彩な人間が集まる場である。共通する言語は音楽だが、当然ながらそれ以外の世界というのが各自の背後には奥深く広がっていて、普段はうかがい知れないそうした話が出てくると何というか、ワクワクする。

それだけではなく、それを何かに活かせないかと考えてしまったりもする。音楽以外の接点を作るという意味ではなく、そうしたバックグラウンドを音楽に活かせないかという事だ。まぁそうは言っても、それなりの音楽との距離感は必要で、どうあっても音楽とは接点を作れないようなバックグラウンドもあったりするのだが・・・。

頭が重いせいか、とりとめもない事を無理やり引き出すようにしかならないな・・・。

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2018年6月18日 (月)

聴く事を楽しむ

週末は連続してコンサートに出掛ける機会があった。普段は音楽といえば弾く事ばかりで、聴くという事があまりないのだが、意識的にそういう機会を作っていきたいという気持ちもないわけではない。

ないわけではないというのは曖昧な書き方だが、自分は本当に音楽が好きなのかと惑う事もあり、実際のところ聴く方はそれほど積極的ではないというのは実情だろう。だから「意識的に」機会を作ろうとするのであって、本当に好きであればもっと機会を積極的に見つけていくものだと思うのだ。そういった気持ちは正直あまりない。

ふと考えたのは、「演奏」自体にはあまり興味がないのかもしれないという事だった。クラシックの場合、曲は同じくとも演奏で印象が異なる事が多々あり、それ故に「演奏を評価する」という視点があるのだが、自分の中にはあまりそういう軸がない気がする。アマチュアであれプロであれ音楽は音楽で、特にライブに関しては、あえて評価しようとすると(そして無意識にしようとしてしまうのだが)疲れてしまう。演奏に関係なく音楽として楽しむようにすればまた違うのではないだろうか。

などと考えつつ、土曜日のチェロとコントラバスのコンサートでは、ああこうやってビブラートをかけると良いのかとか、日曜日のオケのコンサートでも、あれ今のところ縦の線がちょっと怪しかったなとか、どうにも音楽と関係ないところが気になって仕方なかった気がしてしまう。

それは美味しい料理を食べた時に、素材がどうとか隠し味がどうとか考えてしまうのと同じで、純粋に食べる(聴く)行為を楽しんでいるとは言えない姿勢なのではないかと考えてしまったりするのだ。

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2018年6月11日 (月)

曲へのキャッチアップ

先週は朝の時間が不規則でブログを書けたり書けなかったりしたのだが、朝が落ち着かないというのは日中の行動にも影響してくるもので、全体にバタバタした感じになってしまっていた。(もっとも朝を無理やり安定させていたら日中はもっとバタバタしていたと思うのだが。)

さておき、週末にY室内管弦楽団の演奏会が終了。出演は2回目で、前回は気分的にエキストラであったのだが、今回は(気持ち的には)団員である。もっともいわゆるOBオケを母体としているためか、一部人間関係や話題についていけない事はあったりする。

前回は基本的にやった事のある曲ばかり(そうでなければエキストラは引き受けられない)だったが、今回は(やった事のある曲もあったけれども)新曲があるという事で、それなりに練習にも参加したのだが、不足感は否めないというか、やや消化不良な感じで終わってしまった。F響などと違って練習期間が短い短期集中型なので、こうしたオケの場合は個人練習をどう併用するかが課題になる。ある程度曲の感じを掴んでから個人練習をするのが自分のスタイル(というか、そうでないと練習できない)なのだが、それでは着手が遅くて間に合わないのだ。

こうした課題はオーケストラEでも同様なので、何か工夫をしなければならない。曲の理解が問題であるなら、必ずしも楽器を手にしている必要はないはずである(手にしていた方が理解は早いが)。

その辺りはF響で練習中のスメタナも同様で、正直さらっていても(今の段階では)曲の感じが掴めておらず、あまり身体に入ってくる感じがしない。しばらく合奏に参加していれば、理屈は不明でも掴めてきてしまうのだが、これをいかに早くするかが問題なのだ。

とりあえず練習録音については、ながら聞きではなくきちんと時間をとって聴くようにしようと思うのだが、これもなかなかしんどい。直後の反芻と直前の予習をうまくスケジューリングできると良いのだが、練習分を丸々聴くとなるとこれはこれで結構な時間がかかるんだよね・・・。

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2018年6月 6日 (水)

オケをレベルアップさせるデザイン

昨日はU響の練習・・・ではなく飲み会へ。退団している身で練習後の飲み会に突撃するなんて図々しいにも程があるのだが、快く迎え入れてくれたみなさんには感謝したい。(残念ながら戻る気は無いのだけれど。)

押し掛けたのは単純に(かつ久しぶりに)飲みたかったからだが、U響の飲み会は音楽やオケの運営に話題が及ぶ事が多く、結構考えさせられる刺激を受けたりする。それが「刺激」となるのは、我が事ではなく他人事として聞いているからかもしれないが、他人事だからこそ我が事として冷静に置き換えて考えられるという事もあるような気がする。

昨日考えさせられたのはオケのレベルアップについての考え方だ。

アマチュアオケがレベルアップをしていく上では、実はある程度のメンバーの流動性が必要になる。学生や初心者のように伸びしろがそれほどある訳ではなく、放っておけば演奏技術が低下していくプレイヤーの集団で、内的な努力と意識だけで実力の底上げをしていく事は難しい。ぶっちゃけていえば新しい、かつレベルの高いメンバーを加えていく事が必要で、それによる変化がオケのレベルを変えていく。

当然ながら(レベルの低いメンバーが加わるという)逆のリスクも抱えている訳だが、メンバーが固定化してしまえばそうした変化すら起こす事が難しくなる。もちろん一部のメンバーが声高に牽引する事で成長を維持する事も可能だが、これはオケとしての文化風土というよりも、その個人の資質に寄るところが大きい。それは実は固定化とあまり変わらない。

一方でアマチュアオケにとって規模は力であり、その規模は流動性よりも固定化によって実現する事が多い。多様性というのは摩擦も生じさせるものなので、そうした摩擦を抑えて集団の安定性を志向するのであれば、固定化は実は避けられない。

物理的に入れ替えが発生する学生オケではそういった事はないのだが、基本的に定年すら存在しない市民オケにおいて、集団特性がその方向に流れていくのはある意味必然ではある。加えて、オケの数に対してプレイヤーが足りていない弦楽器はともかく、飽和状態にある管楽器のメンバーは、簡単に他に移る事は出来ないので、どうしても固定化しやすくなる(一方で弦楽器プレイヤーはメンタリティとして集団内に固定化しやすかったりする)。

この辺りは文化風土だけでなくオケの組織や構成によっても変わってくるものだろう。実際成長を続けているオケというのもあるはずで、そこはオケのスタート時のデザインが良かった可能性が高い。結果としてそういったデザインになったオケもあるだろうが、ある一定の規模になってからオケ自体のデザインを変えていくのは難しい。

そんな事を考えたりした。とはいえ具体的にそのような会話をした訳ではなく、そう考えるようなきっかけをもらえる会話があったという話である。

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2018年5月25日 (金)

時間配分

昨日はKオケの練習。合間にちょっとだけヴィシェフラドをさらってみたのだが・・・

ヤバい、ヤバすぎる。弾ける気がしない。

いやまぁ個人の譜読みでの読譜力と合奏での読譜力には何故か違いがあるので、合奏に直面すれば別かもしれないが、何れにしても曲を聴きながら楽譜を見るぐらいではダメで、何らかもう一工夫(でも足りなそうなのでふた工夫以上)しなければ難しそうである。力技でさらうのも難しそうだし、そもそも力技でさらう時間などない。

とはいえ、時間がないとはいっても、何をするにも時間は必要なので、まずは時間の確保だろう。しかし今週末も来週末も土曜日は夜まで丸々埋まっている。今週末の日曜日は(まだ確定ではないが)昼から飲み会の予定があって、来週末の日曜日には合奏が来てしまう。

・・・詰んでいる。

この辺りはリソースの配分の問題というか、無理な掛け持ち(決めた時は別に無理とは思っていない)が課題として露呈した形だが、いずれにせよその中でやれる事を考えていく必要がある。加えていうならそもそもさらう必要があるのは『我が祖国』だけではない。

もっとも、練習する曲がある事は幸せな事だとポジティブに捉えることもできるだろう。平日の夜や休日に何をしようかと迷う必要がないというのも。

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2018年5月24日 (木)

続:楽譜を読む

昨日は再び読譜にチャレンジ。すぐに眠くなってしまった・・・。

音源を聴きながら楽譜を追うという行為が良くないのかもしれない。いや必要な事だと思うのだが、すぐに集中力が途切れて追いかけられなくなってしまうのだ。最後はただぼんやりと音楽を楽しむだけになってしまい、楽器を弾くためのシミュレーションにもなっていない。

単純に寝不足で(読譜に関係なく)眠気が勝ったという可能性もあるが、正直あまり有効な形で読めていないのは確かで、別の方法を考えなければならない。

音をイメージできない事を補うために音源を聴きながら進めようとするのだが、実際には満足に読み取れないまま(音楽は)進んでいってしまっているという事を考えれば、むしろ音源は無視して、一つひとつ音符を追いかけていくのが良いのかもしれない。ただそうなるとやはり楽器が欲しくなってくるというか、音を出さない形で進めるのは無理があるような気もする。

オーケストラの場合、旋律だけを担当する訳ではなく(むしろ旋律は少ない)、頭の中で思い浮かべる曲の感じと楽譜の感じが想像以上に違っていたりするので、すぐに分からなくなってしまう。それを補うために、自分の場合は合奏に実際に身を浸すという事を必要としていて、それが結局初回は準備なしで何もできないまま終わるという事につながっていくのだが、これを何とか打破したい。

明日の夜にも時間を確保しているのだが(スケジュールしないとまずできない)、これも楽器なしの時間である。さて、どう進めたものか・・・。

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2018年5月22日 (火)

楽譜を読む

30年以上楽器を弾いてきて何だが、基本的にソルフェージュができない。

初合奏に初見で参加してしまうのは、別に弾く自信があるからとかいう話ではなく、楽譜が読めないのでどう練習したら良いかが分からないのである。もちろんまったく読めないというつもりはなく、ある程度は読めているので、その中で初見の対応をしているのだが、これは楽譜を読んでいるというよりも、記号通りに指を動かしているという所作に近い。

五線譜上に並んでいるいわゆるオタマジャクシにあわせて、どのように運指するべきかというのは大体分かっている。音を出すためにどう運弓をすれば良いかというのもほぼ分かっている。ただし、その結果どのような音が出るかは分かっていない。本来は出すべき音をイメージした上で、それを実現するために運指と運弓を行うのが「楽器を弾く」という行為なのだが、その順番が少々逆転しているのである。

もっとも、馴染んでくれば音はイメージできるようになり、間違えた際にはそれが分かるようになり、状況に応じて修正もできるようになるのだが、最初の段階ではまずそうなっていない。

・・・と毎回開き直っていても進歩はなく、そもそもソルフェージュというのは学習して身につけるものだから、ぐだぐだ言わずに勉強するしかないのである。単にそれをサボっているだけの話だ。

という訳で昨日は読譜にチャレンジしてみたのだが、あえなく轟沈したのだった。

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2018年5月21日 (月)

演奏会終了

F響の演奏会が終了。退団騒動などもあって色々と微妙な心境で臨んだ演奏会だった事もあり、練習不足やら段取り不足やらバタバタとした感じになってしまった。

演奏面については、途中練習が抜けた分の穴は思った以上に大きかった。テンション的に回復しなかった事もあるが、ただでさえ難しい曲に絶対的な練習量の不足は否めないだろう。普通に参加していれば身体に入ってくる部分が入っていないので、演奏中のポカも多々やらかした。

今回は努めて冷静に弾こうという事で、前日のリハではかなり意識できていたのだが、本番ではプッツンと切れてしまっていて、結果として平常心であれば弾けるような所もできなかった。「平常心ならできる」というのは、言い換えれば考えながら弾いているという事になるので、精神状態によって思考が途切れると身体に送られる指令にも変調をきたしてしまうという事だ。

ようは「キレても弾ける」状態まで持っていった上で、考えながら冷静に弾く、ぐらいの心持ちでなければダメという事だ。しかし、キレても弾ける状態に持っていくのは難しい。個人練習でキレるという事はないので、合奏でそういう状態に身を浸すしかないからだ。これまでは合奏への参加量がそれを支えていた訳だが、今回はそこに及ばなかった。

運営面については、これも段取りを詰めておきたい時期に離脱をしていたので、外部スタッフの確保も、内部スタッフの配置も遅れをとった。何とかなったのは各人の努力の結果で、事前の段取りによるものではない。

演奏サイドはそうは言っても弦楽器なので多少代替はきく(弾けなくても多少は何とかなる)のだが、運営サイドに関してはそうもいかないので、結局退団を踏みとどまったのはそちらの要素が大きかった筈だ。大きかった筈なのにこの体たらくでは、別にやめても良かったのでは・・・という話だろう。後継者という言い方は良くないが、少しずつ誰でもできるような手順化を進めて、今回のような時も、自分自身含めてスムーズに乗り越えられるようにしておかなければならない。
(そのあたりU響はうまく仕組み化ができていた。)

昨日は打ち上げも一次会で辞して、車だったのでお酒もなし。素面で打ち上げのテンションについていく事は出来なかったが、では飲んでいたらついていけたかといえば多分そうではないので、当面はそんな感じに過ごしていく事になるだろうか。

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2018年5月17日 (木)

レベルアップ

昨日は社内イベントでのアンサンブル演奏。こういう機会がもらえるのは大変ありがたい反面、どこまで対応していくかは悩みどころとなる。昨日の場合は、メンバーはフレックスで早上がりをして準備をする形だったのだが、いつもそのように対応できるとは限らないだろう。働き方としてはそれもありだろうけれども。

お酒の席での演奏という事もあり、自分たちにもお酒が入ってしまったので、さてどれだけ満足いく演奏ができたのかというのは(お酒だけでなく事前の練習という意味でも)微妙で、「不協和音が・・・」みたいな評価もいただいたりした。もちろんレベルアップははかっていかなければならないのだが、一方で参加の敷居を下げたい(自分でも参加できるかもと思ってもらいたい)という気持ちもあり、不協和音はさておいても、あまりレベルをあげてしまうのもという悩みもあったりする。もっともその辺りは憧れてもらうという戦術もあるので、言い訳にならないようにしていかなければならない。

さて、今週は週末にも演奏会がある。こちらは言い訳は効かない演奏会で、できればもう一段精度をあげたいところである。明日休みをとっているので、付け焼き刃でもそこでもう少し足掻いてみたいものだ。

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2018年5月15日 (火)

録音を練習に取り込む

昨日は水曜日のアンサンブル本番に向けた練習。若いメンバーに混じって(と書くと自分が老けたと感じるのだが、実際20年近い差はある)練習していると、遠慮してあまり言ってこないのだが、録音を聞いたりするとその音程の悪さに、これなんとかしろよと思われているだろうなぁと落ち込んだりする。

録音というのは不思議である。弾いている時には気づかないアラなどが見事なまでに浮かび上がって、現実を突きつけられる。弾いていて気づかないのは何故だとも思ってしまうが、録音でもきれいに聞こえる演奏というのはあるのだから、録音ではなく演奏の問題なのは間違いない。

昨日感じたのは(その前から感じていたけれども)そうした録音を当たり前のようにさらっと活かす姿勢だったりした。スマホで録音してその場で再生、気づいた点を言い合って、また録音して・・・という練習は、もっと取り込むべきなのだろう。そのひどさに落ち込む事はあっても、その積み重ねが結局糧となるのだ。

ちなみにもっというなら録画をした方が良いんだよな・・・とも思ったりして、スキーと自転車でしか使っていないアクションカムをそうやって使ったら良いのではないかと思ったりもするのだが、これがまた恥ずかしくてできていなかったりする。もっとも、弾いている姿は時々ビデオで確認したりするのだが、それなりに様になっているので、課題は音なのだと考えれば、録音で十分ではある。

さて、今日も練習がある。昨日は音程もそうだが楽器の鳴りも少し良くなかった。今日は少しは回復しているだろうか。

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