2017年8月21日 (月)

オケ以外の何か

週末の練習は土曜午後のオーケストラEと日曜午前のF響の二つ。これぐらいだとぐっと落ち着くというか、少し余裕があるという感じになる。もっとも実際には土曜の午前は個人練習をして、日曜午後にはアンサンブルの練習が入ったりしたので、気持ちほどの余裕はなかったけれども。
練習がなければのんびりダラダラするだけと考えれば、やる事があるというのは本来悪い話ではない。

さて、先週書いたコップの水の話だが、なぜそのような状態になってしまったのかを考えると、やはりアンサンブルOの解散が大きな引き金になっているというか、その喪失感を埋められていないのだという感覚は否めない。年に3ヶ月程度の活動だから、年間を通じての練習という訳ではなかったのだが、それが毎年あるという感覚だけで十分だというぐらい、自分の中での位置付けは大きかった。

それは一時F響ではなくアンサンブルOをメインにしようかと考えた事があるだけでも分かる(実際ある)。

オケを辞めるのではなく、オケがなくなるというのも大きなインパクトであったのは間違いない。

とはいえ、そのショックをいつまでも引きずっているわけにもいかないし、ましてや今のように石を投入し続ける事は、正直あまり良い状態であるとは思えない。あるいは少し(オケとは)別の方向で解消していくという事を考えても良いのかもしれない。

9月まではオケの予定でびっしりではあるのだが、その後のことは少し余裕を持たせておこう。

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2017年8月18日 (金)

コップの水とオケの活動

水が注がれているコップに石を入れていく。当然ながらいくつか入れた時点で水は溢れるが、そこで一旦満杯の状態になる。その状態から石を1つ取り除くと水かさが減る。減った水かさを補うためにまた別の石を入れる。そのサイズによってはまた水が溢れる。そこから別の石を取り除くとまた水かさが減るので、また別の石を水がコップから溢れるまで入れてしまう。そうしてコップの中の石が徐々に増え、水の量が少しずつ減っていく。

・・・今の自分の状態はそういう事なのではないかとふと思った。コップはオケ活動。石は一つひとつの演奏会である。

問題は石が1つ取り除かれた後、つまり本番が終わった後に、減った水かさに耐えられずに次の石を入れてしまう事だ。それが悪い事とは必ずしも思わないが、時には石ではなく水を注ぐという事をしなければ、水の量は減る一方になってしまう。何が水になるのかは定かではないが、それが仮にモチベーションだった場合は、新たな石の投入のみで維持していては、いつか枯れる事になってしまう。

そんな事を考えたのは、夏休みに本番が1つ終わったからだろう。今の所は他の練習もまだたっぷりあるので、喪失感のようなものを感じる余裕はないが、本番が終わった頭の隙間には、「11月は本番がないよな」みたいな余計な思考が流れ込んできている。これに流されず、どこかで断ち切らなくてはいけないのではないかという漠然とした不安感があるような気がする。

とはいえ、石を増やせないなら水を投入しなければならない。水を注ぐ事ができれば、それはある種の余裕にもつながるだろう。

その「水」にあたるものは果たして何だろうか。

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2017年8月 4日 (金)

サイレントチェロを演奏用に使う

昨日はKオケの練習があったのだが、久しぶりにサイレントチェロで参加した。ありがたい事に置き楽器とさせてもらっているので、単に楽器を持っていくのが面倒だったという事ではあるのだが。

やっぱり弾く感触などは違うよな・・・と思いながら、次回のKオケの演奏会はサイレントチェロで参加してみたらどうだろうかという事を思いついた。クラシックの曲であれば流石に躊躇するのだが、幸いにしてというか、次回はアンプを介する楽器も参加するポピュラー系のみの選曲(の予定)である。

考えてみると、サイレントチェロは「練習用」としか捉えていなくて、「演奏用」としてみた事がない。演奏用として考えると、例えば音色なども気になってくる。本来はしっかりサンプリングされているはずなので、もう少し良い音が出ても良いはずなのだが、あまりそのように感じた事がないのは、あるいはアンプの問題かもしれない。

この機会にそういった機材を揃え、どうやったら演奏用として満足できるかを少し追求してみようか・・・そんな事を考えた。そういう事ができるのは他のオケにはないKオケの良さでもある。チェロが1本しかない中で、音量的に対抗する意味でも、あるいはアンプで増幅する形の楽器の方が良いかもしれない。

という訳で、アンプを探す事から始めよう。専用のアンプがあるような話は聞いた事がないので、まずは何を使えば良いかだよね。

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2017年8月 1日 (火)

アマオケとエキストラの関係

昨日の(ブログの)エントリーは夜だったのだが、比較的直後に珍しくコメントが付いていた。

ダブルブッキングが分かった時点で、どちらに出るのか決めて速や かに連絡するのがマナーです。

しょせんアマチュアなのに、年間出演回数が多く、そこそこ愛想も
ふりまき飲み会に溶け込み、団員さんから頼りにされ、
勘違いする人がいるんですよね。トラ代も貰ったりして、
プロの足元にも及ばないのに)職業音楽人かのような錯覚をおぼえ
てしまうという。

いや全くおっしゃる通りで、この人はそんなエキストラに手を焼いているんだろうな〜と同情してしまうのだが、運営的な視点でいうなら、こうした勘違いをさせてしまう運営側にこそ問題があるということは指摘しておかなければならないだろう。エキストラは呼ばれなければエキストラにはなれないのだから、そのエキストラが呼ばれる事で何かを錯覚してしまうのだとしたら、それは当人の責任ではなくオケ側の責任の方が大きい。エキストラにマナーを求める以前の問題である。

ただし、エキストラの考え方はオケによって違いがあって、団員数を少なくしておいて、大編成曲をやる時だけエキストラを呼ぶことで、小編成曲にも対応できるようにしているオケもある。必要な時に確実に呼べるように特定のエキストラとの関係を深めておくという戦略をとる場合もあるだろう。あるいはそのような勘違いをしてもらっていた方が、(そのオケにとっては)好都合という事も考えられる。

あるいは考えにくい事だが、この方が「呼ばれる側」として他のエキストラをそのように感じているのであれば、それは申し訳ないが「呼ばれたいけど呼ばれない人」の戯言でしかない。プロは実力で選んでしかるべきだが、アマチュアは関係で選ぶものだ。自分がエキストラを呼ぶ立場だったら、どんなに上手くても愛想なく付き合いの悪い奏者よりも、多少実力は落ちても愛想良く付き合いの良い奏者を選ぶ。その方がアマチュアオーケストラとして一緒に演奏して楽しいと思うからだ。(もちろん弾けないというのは問題外。)

そもそも東京に限っても、400以上あると言われるアマオケの総数に対して奏者は(多いとはいえ)足りていない(地方の事情は知らないが)。実際には不足というよりは偏在だと思うのだが、いずれにせよそうした中でオケを成り立たせていくためのシステムがエキストラと考えると、その考え方捉え方は様々だろう。

「しょせんアマチュアなのに」ではなく、「むしろアマチュアだから」こそ、そうした音楽との付き合い方もありうるのであり、そうした寛容さがあるからこそ、文化としての深みや広がりを生み出すのだ。かくあるべしだけで成り立つ文化なんて閉塞感しかないじゃないか。

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2017年7月31日 (月)

オケへのエントリーを決めるという事

この週末は土曜日が1日練習で、日曜日が午前午後別オケの練習だったのだが、夜がないだけマシだよねとか呟いていたら「それは病気だ」とか言われたりしていた。夜は家でお酒を飲んだ結果、他に何もできずに終わるという、オケ三昧というよりもオケ廃人のような週末だったので、ある意味その通りかもしれない。

もっとも、それ自体はまぁ「充実している週末」とも言える。少なくとも「何をやろうか」と悩むような事はないからだ。

そんな話はさておき、ここしばらくオケへの姿勢を問われるというか、参加すべきだったか迷う案件が連続している。一つは来年2月本番にエントリーしたオケの本番を土曜日と勘違いしていて実は日曜日だったという問題。もう一つは、無理やりダブルヘッダーを決めたオケの開演時間が最終的に決まって、そもそも本番時間が被ってしまったという問題だ。

前者はやや特殊事情だが、個人的な決め事として、日曜午前中のF響の練習には(他オケの事情を)影響させないというものがある。これは最低限その程度の縛りがなければ、掛け持ちはすべきではないと考えているからだ。基本的には他のオケの場合も同様で、練習にどれだけ参加できるか、それが互いに干渉しないかというのが参加を決める際の条件になる・・・筈なのだが、これが徐々に崩れてきている。現状は2つどころか3つの練習が重なる事もあって、これは要するに「エントリーしすぎ」という事だろう。

それが何をもたらすかといえば、もちろん練習不足によるアンサンブルへのアジャスト不足という事態もあるが、オケ自体へのロイヤリティというか、帰属意識のようなものが薄れる結果につながっているように最近感じるのだ。練習への参加を基本的に欠かしていないF響でさえそうした気持ち的な「薄れ」が発生していて、つまるところ自分はどこのオケに所属しているかというアイデンティティのゆらぎのようなものが生まれてしまっている。

大げさなようだが、これは注意しなければならない。自分の気持ちはある意味どうでも良いかもしれないが、そうしたロイヤリティの低下は、「メンバーとしてなすべき事」への意識の低下を招くからだ。それは最終的にはオケ全体に迷惑をかける事につながっていく。それに自分の気持ちだって、ベースが無い状態でどこまでテンションを維持できるかといえば心許ないだろう。熱狂だけで乗り切れるのはそれほど長い期間では無い。

考えてみれば、昨年16回の本番を経験して、これは無理だと思っていたはずなのに、今年も同様の状況に陥りつつあるのは、実はあまり浮かれていて良い話ではないのだ。

で、二つ目だが、これはもう普通にダブルブッキングというやつで、本来はエントリーの時点で辞退すべき案件だ。それでも参加したかったというのは本音で、何とか間に合うかもしれないと淡い期待を抱いていたのがもろくも崩れ去ったにすぎない。どういう訳か運営その他の皆々様には受け入れてもらっているが、後のコンサートが開演した時にまだ前のコンサートで弾いている状態なのだから、普通はあり得ないブッキングである。

そして、こちらも「練習にはフル参加できていない」状態が発生してしまっている。これまた甘い話なのだが、それ故に「本音では参加したかった」はずのオケへの参加モチベーションが下がるという事態を招いてしまっている。

それでも、練習含め演奏している最中は楽しいのだから、何というか幸せな状態ではある。土曜日のオケは初見での参加で(注:通常初見で参加するのはオケプレイヤーとしてはマナー違反である)、久しぶりに未知の曲に対峙して「新たな発見をしながら弾けるようになっていく」興奮に包まれた。日曜日のオケでは、自分の知りうる範囲で最も上手いチェロプレヤーと再会して、久しぶりにその隣で弾く歓びを堪能した。これだからやめられないのだ。

さて、件の2つのオケだが、耳にした直後は一旦降りる決意を(本気で)したのだが、今更降りるというのは、どちらに対しても不義理であるのは間違いない。決めてしまったのは自分だし、周りがそれも含めて受け入れているのにこちらの都合だけで動くのは身勝手というものだ。覆水盆に返らずというけれども(別に覆水ではないが)、考慮すべきは「次の」決断であって、すでにしてしまった決断を覆してはいけないだろう。

とはいえ、9月のダブルヘッダーはともかく、2月の勘違いはその時期のスケジュール次第で苦境に立たされるという事があるかもしれない。その時はその時だと思いたいが、それも覚悟の上だという事で書いておく事にする。(まぁ書いておいても忘れていたのがこの勘違いエントリーの大元ではあるのだが。)

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2017年7月17日 (月)

本番前のアイドルタイム

今日はKオケの演奏会本番。準備は何というかグダグダだったような気もするが、何とか漕ぎつけたという感じだろうか。

それにしても、こうした演奏会の準備のような、ある程度は一人でできる領域の広い仕事をしていると、つくづく自分は人に任せるのが下手だなと思わなくもない。何というか、ギリギリで自分が抱えてしまっている事柄が多い気がする。もっと前もって色々任せていければ良かったのに・・・と直前になると思ってしまったりする。

それでも今回は結講色々と他のメンバーには振ってはいるつもりで、実際色々と助けてもらっているので、その点で不満はないのだが、ここにきてそういえばあれもあったこれもあったと思い浮かぶのが、何というか、不安なのだ。

あれこれ思い浮かんだり、不安を感じるというのは、それぞれ任せている領域を自分では掌握していないからだ。つまり「どこまで任せたか」が明確ではないので、隙間があるような気がして不安になる。全体を掌握していれば、そういった事は起こるまい。

実際には各人がそうした隙間を埋めるために頑張ってくれるので、結果としては抜ける事はそれほど無い筈なのだが、それを過信する事は出来ないし、それはある意味運でもあるので、そうしないための算段を組むのは自分の役割だろう。本来任せる側しか全体は掌握していないのだから。

そして本来ならば、そうした全体像を示すことこそが自分の役割なのだが、それが出来ていない。

不安だから無駄に早く来てしまうし、だからと言って早く来ても何も出来ないので、そんな事を考えてしまうのだった。スタートしてしまえば思い悩んでいる暇などないので、そのためのアイドリングといえばそうなのだが、やはり無駄な時間ではあるかもしれない。

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2017年7月12日 (水)

緊張を克服する

Kオケの本番が近づいてきた。

Kオケの本番は、オケとしての曲自体はそれほど緊張する事はないのだが、色々それ以外の事があって、結局の所結構緊張したりする。音楽の事であれば事前の練習である程度解消する事も可能なのだが、何分にもそれ以外の事であるので、何というか準備のしようがない。いややっても良いのだが、スピーチの練習なんて正直したくない。

もっとも今回に限っては、音楽面でも緊張の場面がある。ソロでの演奏があるからだ。これはオケの曲の中でソロパートがあるという事ではなく(そんなのは普段から一人で弾いているKオケにおいては緊張のうちに入らない)、ピアノの伴奏は入るにせよソロで曲を弾くという事である。これは緊張する。何となれば、真面目な形での独奏というのは、恐らく中学生の頃の発表会以来という話になるからだ。(今年2月に白鳥みたいなどソロの曲を弾いたりはしたが、それもアンサンブルの中での話である。)

個人的には、ビビリのためそういう事はあまりしたくない。外見上はそう見えないらしいのだが、結構緊張するタイプで、内心はかなりドキドキしている。胸に当てているチェロが心拍で揺れて弾きにくくなるぐらいだ。人前で話すというのも同じような状況なのだが、しかしそういうのは周囲にはあまり伝わらず、大抵の場合信じてもらえない。

緊張に打ち勝つには練習するしかない・・・と言いたい所だが、緊張に打ち勝つ程の練習ってどれだけの練習なのかと思わなくもない。というか、メンタルの問題というよりも技術の問題があって、それは短期間の練習でどうこうできるものではない。正直な話、開き直れるだけの練習を積み重ねるのは、現状では時間的に不可能だ。

それでも幸いな事に、昨日今日と時間を作る事が出来た。会社の施設と会社の理解に感謝だが、このまま明日以降も途切れずに練習ができれば、そこそこな感じには仕上がるだろう。技術ではなくメンタルが、だが。

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2017年7月10日 (月)

楽しんで演奏するので頑張って聴いてください

ピンときた人はよく読んでいるなと思うが、これは「のだめカンタービレ」 のラストシーンで、主人公のだめが聴衆に挨拶した時のセリフである。もちろん本気でそう言った訳ではなく、フランス語を間違えるという設定なのだが、個人的にこのセリフはアマチュア音楽活動の本質を突いているような気がしていてとても好きな言葉だったりする。

のだめの場合は天才なので、この言葉は単なる言い間違いに過ぎず、聴衆は別に「頑張って」聴く必要はない(もっともブッとんだ演奏に驚くシーンはよく出てくるが)。アマチュアの場合は、そういう訳にはいかないので、時に本当に「頑張って」もらわなければならない場合もある。その辺りは程度の問題もあったりするかもしれないが、そもそも頑張らずに聴ける音楽というのは実は少ない。特にベートーヴェン以降の音楽というのは、本質的には聴衆のためではなく作曲家自身の表現欲を満たすために創られており、そういった意味では、音楽は本来客のためのものではなく、作者あるいは奏者のためのものなのだ。

もっとも、そうであるためには、奏者自身は心の底から演奏を楽しんでいなければならない。頑張って演奏する曲を頑張って聴いてもらうとなってしまっては不幸な関係なので、そうはならないようにする必要がある。いうなればアマチュア演奏における聴衆の役割は「楽しむ奏者を応援する」所にあるのだ。それが苦行だというなら、アマチュアを聴きに行くのはやめた方が良いだろう。逆に応援が楽しめるなら、両者の関係はwin-winである。

で、何でこんな事を思い出したかというと、次回のKオケの演奏会は、ある意味そうでなければ成り立たないからだ。我々奏者は演奏を心の底から楽しみ、聴衆にはそんな我々を頑張って応援する事を楽しんでもらわなければならないのだ。

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2017年7月 8日 (土)

弦をきちんと押さえるという事

今日はKオケでは珍しい休日の練習である。普段は平日夜に会社で練習しているのだが、本番が近くなってくると、エキストラの参加のしやすさなども考えて休日の練習を設定しているのだ。練習会場は変わらず会社なのだが、今日は本番会場でもあるホールでの練習である。

Kオケの練習は木曜日にもあって、その時に気が付いたのだが、最近なのかずっとなのか、弦を押さえる力が弱くなっていた。左手で弦をしっかり押さえていないので、当然ながら音がきちんと出ない。それを何とか右手の運弓でカバーしようとしていたらしい。一音一音意識して押さえるようにすると、逆に音が出やすくなり、右手が楽になった。

何をやっているのかという気がするが、気を抜くと弱く押さえてしまう。弦を指板にきちんと押し付けるのではなく、やや浮いたような状態で「押さえたつもり」になってしまっていたのだ。それでは音程も音質も安定するわけがない。

幸いにしてKオケのプログラムは運指的にはそれほど苦労をしない。だからこそ気づけたのかもしれないが、運指に苦労していたら、逆に弦に指を「当てる」のが精一杯になってしまって、そうした状態に気が付かないままであっただろう。無意識にそうなってしまっているのがタチが悪い。

そんな訳で、今日の練習でもその辺りをしっかり意識しておきたいのであった。そしてその調子で明日のF響の練習にも臨みたいものである。

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2017年7月 3日 (月)

フォロワーの楽しみ

この週末は合宿で千葉の岩井海岸まで2往復するとか、いつにも増してオケ三昧な週末だったのだが、その中で少し感じた事がある。

昨日の夜の練習が楽しかったのは、フォロワーとして色々考えながら弾けたからなんだよね。リーダーだと全然違う事を考えてるし、譜読みに必死だとそもそも何も考えられない。
送信 7月2日 From Hootsuite

頭を空っぽにして弾くという楽しみもあるのだが(それをキレるといって結構多用するのだが)、そうではない楽しみ方もあるという話で、読譜に余裕がないとできないことではあるのだが、一定の余裕があればそうした楽しみが浮かび上がってくる。リーダーであってもそうした楽しみはあるのだが、フォロワーだとまた違う。

だいぶん前にあるオケで指揮者に言われて呟いた事があるのだが、弦楽器におけるパートリーダーの役割がパートとしてオケ全体のアンサンブルにアジャストする事にあるのだとすれば、リーダー以外のパートメンバー(フォロワー)の役割は、そのパートリーダーの音を自分の楽器で共鳴させて増幅させる事にあるのだそうだ。弾けなければ成り立たないし、仮に弾けても自分一人で弾いていたら成り立たない訳で、これはこれでかなり高度な話なのだが、テクニックというよりは意識の側面のような感じではある。

それでも、それを意識しながら弾くというのは、また違った楽しさがある。自分の楽器の音ではなく、パートリーダーをコアとしたパート全体の音を生み出すにはどういった弾き方をすれば良いのか。パートリーダーの音はどのように聴こえているかを知覚し、それをどう共鳴させればパートの音としてまとまりを生み出せるのかを考える。それはパートリーダーの役割ではなく、フォロワーの役割なのだ。

土曜日の練習では久しぶりにそんな事を意識させられた。最初はメンバーが足りずに一人弾きの状態で、そこから人が増えて、最後にパートリーダーも加わる事で、同じ練習の中でソロ→パートリーダー→フォロワーと立場を変える経験をする形になったからだろう。おかげでテンションが上がってしまい、当初その気がなかった2日連続の岩井海岸往復という無茶をやる羽目になりはしたのだが、悪い経験ではなかった。

・・・しかしそのオケ三昧な日々のツケは当然ながら今日という平日に覆いかぶさってくるのである。とりあえずは週末まったく出来なかった家事関係を片付けなければ。

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