2022年5月16日 (月)

オケの週末

食べすぎたと思った後は18時間のプチ絶食をすると良いらしい。昨日は少し食べすぎた感じがするので、ちょっと今日はそれを試してみることにする。水分補給だけは気をつけよう。

食べ過ぎには18時間の“プチ断食”が効く!

https://business.nikkei.com/atcl/skillup/15/111700008/012100004/

さておき、週末はオーケストラエクセルシスの練習がスタートし、府中市民交響楽団の定期演奏会を聴きに行った。だいたいそれで終わってしまったのでその他の事はあまりできていない。

練習は・・・大変申し訳無いことにいつものように初見で臨んでしまったので、あまり役に立てなかった。オケの役には立てなかったが、個人としては役に立ったので、これを活かして次の練習までに多少は役に立てるようになりたい所だ。

ちなみに初見で臨んでしまうのは、別に手を抜くといった話ではなく、経験上初めての曲はほとんど事前の練習が役に立たない事による。何分楽譜から出すべき音を想像できない音痴なので、特にオケ関係の曲は合わせなりで強制的に音を聞かせてもらわないと、個人での練習すら組み立てられない。こんなんで良く音楽やってるな・・・。

ただ、今回はどソロがあって、これは事前に見ておくべきだったと反省した。ソロの場合は音源から音を把握しやすいので、多少であれば把握ができる。小編成のアンサンブルでも大体は把握できる。オケの場合、練習が必要なところというのが、大体音が埋もれていてしまったりして、イメージしにくかったりする。

(ちなみに合奏中自分の音が正しいかどうかは、楽譜というよりも周囲の音との相対で把握しているので、和声から外れていたり、自分の理解できない和音だったりすると途端に戸惑ったりしている。)

府中市民交響楽団の定期演奏会は、指揮者のタクトに見とれてしまって、そこから音楽を想像するのが楽しかった。実際の演奏は・・・多少ぶれてしまっていたような気がするが、自分だったらどう弾くだろうかと考えたりしていた気がする。

そこで感じるオケの課題感というのは、そのまま自分自身の課題でもある。音量と速度を分離して弾けるようになるといった課題だ。行き着くところは右手の使い方にはなるし、基礎練習が重要と思うのだが、どういった練習が効果的なのかが見当がつかない。

いずれにせよ、スキーシーズンは終わったので、ここからはオケ(と自転車)のシーズンである。先日書いたようにどうやって(練習の)環境を作るかだが、そろそろそのあたりにも頭を使っていきたい。

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2022年4月18日 (月)

久しぶりのオーケストラ

今日は在宅だったのだが、朝バタバタとしてしまい、これは夜に書いている。ちなみにテンションが朝とは異なるので、夜だと同じようには書けないことが多い。

週末はリハビリオケの練習&本番があった。本番と言っても無観客で通すだけなので、人によっては練習なのだが、個人的に音楽的なテンションは観客の有無が関係しないので、気分的には本番として楽しんでいたりする。

とはいえ、久しぶりに弾くオケはきつかった。楽しくもあり、きつくもあり、だ。

先週久しぶりに楽器をケースから出し、一応音がなるかぐらいは確認したのだが、譜読みまでは届かず、過去の記憶だけが頼りの演奏。速いパッセージは指(と頭)が追いつかず、弱音部では音がかすれ、通しでは握力を失って弓を落としそうになったが、それでも楽しかったのは間違いない。

やはり楽器を弾くのは好きなんだな。大切なのは、楽しいと思える節度で付き合うことなのだろう。

さて、5月からは普通に本番のあるオケの練習がスタートする。それまでにもう少しリハビリしたいと思いつつ、結局呆けてしまうような気がする。

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2022年4月 4日 (月)

週末の過ごし方

週末はスキーと演奏会(聴く方)。

スキーは湯の丸スキー場に初めて行ってみた。シーズン終了前日だったのだが、直前(金曜日)に雪が降ったとかで、朝はパウダーに近いような状態。この段階でシーズン終了はもったいないのでは?と思ったのだが、昼頃まで滑るとそれなりの雪に変化したので、楽しいと思ってシーズンを終わるならこれぐらいなのかもしれない。

リフト券は割引されていたのだが、リフトも本数を減らしての営業。やや並んだが、その分コース上の人数も減ったので、滑走は快適だった。そもそもこの時期にここまで滑りに来るような客なので、コース上でもたついているといった事もほとんどない。

もう少し滑れるかとも思ったが、昼頃に終了。滑走は17本で実質滑走時間は30分ほど。滑走距離は20km弱だった。GARMINはこうした記録を自動でしてくれるので、この辺のデータはもっと活かしたいところだ。

これで先日立てたばかりのシーズンの滑走目標までは残り1回となったのだが(12日滑走の目標)、意外と滑走距離で目標を立てるのも良いかもしれない。さて、4月中もう1回、どこかで行けるだろうか。

(ちょっと気合と調整は必要。)

日曜日はアマオケの演奏会を聴きに行ってきた。こちらも年間回数の目標設定を(プロアマ問わずだが)してみたのだが、行くのは今年初である。まぁ冬場はスキーが優先だからね・・・。

少し前にオケでご一緒した事のある方から案内をもらっていたのだが、当日行けるかは確約できなかったので事前にチケットの相談等はせず、当日券を会場で購入。行った動機は・・・曲が好きだったからだ。

久しぶりに客席でオーケストラを聴いて、ああそろそろ楽器も触らなければなどと考えたりした。先述したとおり冬場はスキー優先で動いてきたのだが、そろそろ楽器演奏も再開したい。

それで思ったのは、練習場を確保する事だ。実家で弾いても良いのだが、気分を切り替える意味では多少費用をかけても場所を確保した方が良いように思える。スキーだってただではない訳で、同じ用にどうせ時間を使うのであれば、しっかりとしたコストをかけた方がスッキリする。

という訳でまずは時間と場所を意識的に確保する事にしよう。何を練習するかはそれから考える事にしよう。スキーだってまず日程、次に行く場所、どう滑るかは当日考えているのだから。

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2021年11月15日 (月)

マスクの効果

週末はやっとかめ室内管弦楽団の練習。今年参加を再開したオケの一つだが、実は理由はあまりはっきりしていない。あえていうなら練習期間が通年でないシーズンオケであることと、自分より上手な面々がそろっているからだろうか。


さておき、マスクをしながらの練習参加(本番も)なのだが、そうやって弾いていて一つ分かったことがある。


キレると呼吸が苦しくなる。


マスクをしていない時には自覚がないのは当たり前だが、曲にのめり込んで冷静さを失い出すと、途端にマスク内の酸素が足りなくなるのだ。ある意味淡々と冷静に弾くことをマスクに強制されているとも言える。


今回はブラームスとモーツアルトなのだが、モーツアルトはともかく、ブラームスは昔からキレやすい曲で、時々暴走しがちになる。昔指揮者に言われたことだが、ブラームスは演奏側がのめり込んでしまうと、聴く側からは暴走にしか聞こえず、淡々と弾けばちゃんと熱狂的に聴こえるように作られているそうなので、今回のマスクは案外良い意味でブレーキになるかもしれない。


もっとも、冷静だから弾けるという訳ではもちろんない。

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2021年10月11日 (月)

リハビリ

土曜日はやっとかめ室内管弦楽団の練習が開始。直前にバタバタと譜読みもしたのだが、ブランクはブランクで、おおよそ弾けたものではなかった。幸い未知の曲ではないので、楽譜を追いかけることは出来るのだが、気持ちとは裏腹に体がついてこない。


実際、今日になっても指が痛い。このあたりからリハビリが必要ということなのだが、(個人の)練習の時間を確保するのは相変わらず難しい。いや時間はあるのだが、気持ちと場所を確保するのが難しいのだ。


今の「弾けない」とはどんな状態だろうか。正直物理的に指が追いつかないという所は何箇所かあって、そこはもうメカニカルに多少トレーニングしたぐらいではどうにもならない。だが多くの場合は「指は回るが脳の指示が追いついていない」という状態で、これは脳がきちんと譜読みできておらず、指に対する司令を出し切れていないのだと想像できる。


まがりなりにも30年以上弾いているのだから、それなりに脳と指は結びついているはずだ。だから、指示さえ的確なら、大抵は弾ける。問題は指示能力の低下と、それを受けての行動パターンの劣化だ・・・と想像する。楽譜という刺激に対する脳の反応が低下しているので、細かい指示が的確に出せない。指示が追いつかないので昔弾いたパターンに頼って指が動いてしまうのだが、それが劣化しているので思った形に作動しない。


脳の反応は、実際に弾かなくてもある程度強化する事が可能な筈である。そこは時間の問題だ。一方劣化してしまったパターンを磨き直すには実際に弾くしかない。こちらは場所の問題で、どちらにも共通するのは気持ちの問題だろうか。


まずは脳の反応をある程度取り戻さなければならないだろう。そのためには楽器は弾かなくても楽譜に接する時間を増やし、反応ができていない箇所に対する脳の認知と指示の反応を高める必要がある。


とりあえずそこからか・・・。

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2021年9月27日 (月)

演奏会終了(聴く方)

F響の定期演奏会(聴く方)が終了した。1年の休団を経て流れで退団となったが、本来はお休みの間に客席から聴くという事をして最終的に決めようと思っていたものだ。何気にコロナはそんなところにも影響を及ぼしていたりする。

(本当は今年乗る予定のオケについても同様の事は考えていたりした。)


いつもは運営の事ばかりだったが、今回は聴く方なので演奏の方について書いてみる。


改めて感じたのは、ホールが意外と響くという事だ。今回は府中の森芸術劇場で最も音が良いとされている2階席最前部だったという事や、客席が制限されていて吸音されないという事もあるのかもしれないが、思った以上に残響が残って、いい感じに響く。最後の曲で拍手をちょっと待てと思ったぐらいで、ステージ上での感覚とはかなり違う。

(実際最後の拍手は本当に待って欲しかった。音を「聴く」のではなく、弾き終わるのを「見て」拍手していないか、という気がしたぐらいだ。最後の響きを楽しみたかったのに・・・。)


逆に響きすぎるというか、音が立ちすぎていてちょっと痛いぐらいだった。特に管楽器と高弦の音が強すぎる印象で、頑張りすぎている印象になる。2階席で高音が飛びやすいのかもしれないが、それにしてもちょっと浮きすぎていて、そういった意味ではもっと余裕を持って控えても良いのかもしれない。


そういえば、トレーナーの先生に、「この練習会場は音が響かないので、無理に音を出しすぎている」という事を言われたのを思い出す。中にいて弾いている時は「そうかなぁ?」と感じていて、それはホールの本番や録音でもそれほど印象として違わなかったのだが、なるほど客席で生で聴いてみるとその通りなのかもしれない。なんというか、各パートが頑張ってそれぞれの音を出そうとした結果、惜しくもバランスが崩れてしまっているような感じだった。


逆に低弦については、ステージに居る時はもっと出さなくては的な感じだったのだが、きちんと響いていた。高弦に負けた感じになるのは、これは高弦側が突出している感じで、支えとしての低弦の響き方は決して悪くない。ようはバランスで、低音パートに高音パートが「乗っかる」のではなく、高音パートが低音パートを「引っ張る」ような構図になってしまっていて、結果として低音がついていけず両者の距離が開いてしまっているのだ。ステージとの相性的には(贔屓目ではなく)低弦の音量感が良かったような気がする。


もう一つ気になったのは、音の粒だろう。至近では印象が異なるかもしれないが、残響を踏まえた音の残し方が人によって違っていて、2階席ぐらいの距離だと、その差が如実に現れるように感じだ。そういう視点で振り返れば、自分は明らかに弾きすぎていただろう。楽器やホールの響きを信頼せず、自分だけで音を出そうとしていたような気がしなくもない。今一人で弾く時は(あまり弾いていないが)弦の残響を意識しているのだが、当時そんな余裕はなかったのは間違いない。


自分が弾いている時のオケの音を生で客観的に聴くのは当然不可能なのだが、弦楽器の場合は、こうして聴く機会を持つ事も必要なのかもしれない。それも降り番の曲でバタバタ聴くのではなく、演奏会全体を聴衆として聴く機会も必要なのではないかと思ったのだった。

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2021年7月26日 (月)

オケは好きか

4連休はダラダラ・・・もとい、ゆったりと過ごして、気持ち的なリフレッシュもできたなと思うのだが、何もしていないと思いつつ、三体は第2部まで読了したし、You Tubeで ターンエーガンダムを見たりもして、何もしていない訳ではないのだった。オケはしていないけど。


TL上ではオケの話題もどんどん出てくるようになったが、今年乗る予定の他のオケの練習は緊急事態宣言でキャンセルになっているので、先日の本番以降、しばらく機会がない。練習がなくても(個人の)練習ぐらいはした方が良いのだが、そんな事を考えていると、自分は本当にオケや楽器が好きなのだろうかという想いが頭をよぎったりする。


一時期、それがなければ生きていけないかのように練習予定を入れまくっていたが、なくなってみれば特に大きな喪失感があるわけでもなく、案外休日もそれなりに過ごしていけてしまう。今はまだ行動制限があるが、なければこの4連休もどこかに遠出をしていたりしただろう。もしかしたら(サイレントの)楽器を車に積むぐらいはしたかもしれないが、それを弾いたかどうかは怪しい。


もちろんのめり込むということもできなくはないと思うのだが、意外とそういう精神状態にはならないものだ。これは枯れたのかもしれないし、元々そうだったのを昔は無理していたのかもしれない。無理していたというと語弊はあるが、あれだけの機会を予定として詰め込んでしまうことで、無理やり思い込んでいた可能性はないとは言えない。


何分世間の状況が通常通り制約なく行動できる環境にないので、今の心持ちをどこまで「普通の気持ち」として受け止めて良いのかはやや疑問もあるのだが、もう少し距離を置く感じでも良いような気がし始めている。


先日の本番はそれはそれで充実していたので、同じように向き合っても良いのだけどね。

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2021年7月15日 (木)

ゲーム音楽から感じるクラシック音楽の強さ

今日は時間がないので、2年前の昨日の呟きをまとめて再掲。Facebookの「思い出」機能はこのあたりが面白い。(なお一部誤字を修整。)


 
ところで今日の打ち上げは途中参加者による即興(?)演奏もあったりして、ちょっとなるほどと思ったりしたのだった。


前にも書いたけれども、ゲームオケのあり方というのはクラシックオケとはちょっと違っていて、なんというか「今」「リアルな音楽」というのを強く感じるのである。


何というか「軽音楽」(別に軽くないのだが)のバンドのあり方に似ているというか、今日の打ち上げに関して言えば、ロマン派の作曲家がリアルに生きていた頃のサロンというのは実はこういう感じだったのではなかろうかという気持ちになった。


即興演奏というのはクラシックの、特にアマオケ界隈ではあまり見かけない気がするのだが(単に自分が接する機会を作ってないだけかもしれない)、例えば各自が持ち寄った(互いに聴いたことがないような)曲を宴席でやるというのはなかなか考えさせられる現象だと思うのだ。


そうしたライブ感というのは少なくとも自分は失っていて、例えば今日も声はかけられつつ辞退したりした。いやまあその時点ですでにビールジョッキを6杯ぐらいは空けていたのでそもそも楽器を弾くような状態ではなかったのだが。


映画「アマデウス」には、酒場で酔って即興演奏をするモーツァルトの描写とかがあったりするのだが、つまりそれを現代においてどう実現できるかという話だ。


もっと言うならそういう場面を当たり前に作れる、日常の風景であるなら、それは何と豊かな音楽文化だろうか。


さて、そして今日ちょっと感じたのは、今回のゲームが発売20年であるとするなら、今の十代にはこうした活動はどのように映っているのかと言うことだったりする。それはつまりすでに次の世代を見据えた活動が必要になってきているのではないかという事だ。


少なくともクラシックオケに関しては、「高齢化」という問題はあくまでも個々のオケの話で、界隈全体としては若い世代が誕生している事は感じられる。ゲームオケはどうだろうか。


そこで問題になるのは、クラシックのような膨大なアーカイブがゲーム音楽界隈にはないという事だ。これは今の芸能音楽全体の話と置き換えても良い。
それは言ってみればメンデルスゾーンがバッハの音楽を再発見する前の状態にあるという事でもあろう。ベートーヴェンの時代ですら、音楽はコンサート会場における一期一会の存在だった。もっといえば、かの時代は再演の要望があれば行われ結果その曲を有名にしていったが、ゲーム音楽の世界にはその仕組みがない。


つまり状況としては、今のゲーム音楽オケを取り巻く状況は豊かな文化の発露である一方で、後世に残していける要素が薄いのだ。


これはプレイヤーだけの問題ではなく、作曲者や編曲者、JASRACのような権利関係を束ねる存在が互いに検討していくべき課題ではある。


言ってみれば、バズらない訳だ。話題としてではなく、音楽としてである。ゲーム音楽の作曲者たちは、編曲され拡散されるだけの音楽を書いている。それが今だけで終わるのか、未来まで残るのかという瀬戸際にあるとも言える。


しかしそう考えると「クラシック音楽」を一つのジャンルとして文化としたのは誰の仕掛けなのだろうか。ある意味それはとてつもない偉業である気がする。

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2021年7月 7日 (水)

オーケストラアレンジ

昨日書いたことに触発されて、久しぶりにラヴェルのスペイン狂詩曲を聴き比べた。何を聴き比べるかというと、ピアノ連弾版とオーケストラ版の聴き比べである。


再生環境がプア(iPad miniでイヤホンなし)だったので、視聴体験としてはいまいちだったのだが、これがオーケストレーションなんだよなと思ったりする。展覧会の絵と異なるのは、どちらも作曲者本人が書いていて他人の手による編曲とは異なる点なのだが、こうした「編成による違い」というのに妙に興味を持っていた時期があって、今でも結構好きだったりする。


自分が参加したサブカルオケは、どちらかといえば原曲も音色豊かな曲が多いのだが、ゲーム音楽が全てそうかと言えばそうではない訳で、そうしたずっとシンプルな音楽に対して、どんな編曲の膨らませ方をするのか・・・そんな事にも興味があったりする。


ピアノはまだ音も豊富だが、これが弦楽器一本で奏でられるような音楽だったらどうなるのか。そのようなシンプルな音楽を、いかにしてオーケストラという編成に拡大するのか。そんな姿を、実は見てみたい。いや元となるゲーム音楽に何か心当たりがあるかといえば、そんなものはないのだが。


でもそれは言ってみればブラームスのハンガリー舞曲が作られたのと同じような話で、そんな現場にリアルに立ち会ってみたいような気持ちはあるのだ。


・・・アマチュアに求めるような事ではないか。

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2021年7月 6日 (火)

編曲のあり方

今回の演奏会について、もう少し書いてみる。


終了後の挨拶で、編曲者が「私の聴きたかった音楽を聴くことができた」と言っていたのがとても印象に残ってる。客席で聴いていた合唱指導の先生や、原曲の作曲者が口を揃えて「オーケストレーションが良かった」と言っていたのと符合する話だなとも感じていたりする。


これまで参加したサブカルオケでは、特に最初期に参加した頃は「原曲では・・・」という話が演奏者から出て来ることが多かった印象がある。これは楽譜ではなく音楽が先にあって、それを再現したいという気持ちの表れだと感じていたのだが、参加を重ねる(時代を重ねる)に連れて、徐々にそういった話が減ってきている印象を持っている。


自分自身に関しても、今回はついにオリジナルのサントラなどを入手しなかった。前回の参加までは、雰囲気を掴む上でも原曲を聴くという事を(一応)していたのだが、今回に関しては楽譜とオケが実際に奏でた音楽だけが自分にとってのその世界になっている。これはクラシックでも未知の曲に取り組む心持ちに近くて、それが楽しみでもある。

(クラシックでも、多くは「知っている曲」に取り組むものだ。知られすぎている場合すらある。)


原曲を聴いていない以上、これは想像でしかないのだが、今回の編曲は作曲者の曲であると同時に、編曲者の曲でもあったのではないかと思っている。言ってみればムソルグスキーの「展覧会の絵」のラヴェル編曲版のようなものだ。だからこそ、その演奏においては、原曲の世界観をリスペクトしつつ、編曲者の想いが載せられた楽譜に(原曲以上に)向き合う姿勢が重要になる。


これは言い換えれば、「編曲」の持つ重みと広がりが豊かになってきた事を表している。個人的にはクラシックの世界でもそうした潮流はあって欲しい(実際19世紀頃はそうだったらしいが)と思っているが、むしろこうした世界の方がそうした広がりは持ちやすいのかもしれない。


他のメンバーがどのような気持ちで演奏していたのかは正直分からないのだが、個人的にはそんな事を感じていたのだった。いや全然勘違いで原曲通りなのであればごめんなさい。

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